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「美術館」と「見世物小屋」



「見世物小屋」って行ったことないですねぇ。
「見世物小屋」っていうものは、昔から知っているんですけど、行ったことも見たこともないわけですよね。
はたして本当に「見世物小屋」に行ったことがある人っているんでしょうか? 
と言うか、一体いつごろまで存在していたのかが、不明!

あぁ、それはともかく、そういう実体験が全くないのに、なんとなくよく知っているような気に成っている「見世物小屋」のイメージと言うと、早い話が「ゲテモノ」や「マガイモノ」的なキワモノという感じに成っているわけです。
まぁ、もう一歩踏み込んでいうなら「インチキ」ってことですよね。
それに、人道的にも問題がある場合もありそうだし。

だから、本当に行ってみたいという気持ちに成らないのかも知れないですね。
それで、行ったことが無くてもぜんぜん気に成らないのかも知れません。
『物語りの中だけで十分』という感じでしょうか?

なぜそんなことを言うかというと、最近の「美術館」にも、少しですけどそういう「キワモノ」的な感じを受けることがあるからなんですねぇ。
まぁ、要するに「現代美術」の展示を見たときにそういうことを感じるわけです。

古い時代の「芸術」を見ている時には、ほとんど感じることが無いような「キワモノ感」ですね。
そういう「見世物小屋」と共通の「怖いモノ見たさ」みたいな感じですか?
そういうのを感じる時があるわけです。

『美術館だって一種の見世物小屋みたいなもんだろ』と言われてしまえば、まぁ、それまでなんでしょうけどね。
『それ、私は違うと思います!』ということなわけです。

つまり、「見世物小屋」っていうのは「イカガワシイこと」自体が売りなわけで、はじめから「そう言うモノ」なわけでしょ?
だから、「インチキ」だったとしても『まぁ、話のタネくらいにはなるから』ということに成るわけです。
要するに、その「イカガワシサ」に対して、木戸銭(いつの時代なの?)を払って見に行くわけで、「マトモなもの」が見たいなら別の所に行っているハズですよね。
(人道的に「問題あり」な場合は、また別の話として)

でも、「美術館」は「イカガワシイこと」が売りなわけでも、はじめから「そう言うモノ」なわけでもないと思うわけです。
そして、「美術館」は「インチキ」を見せてはいけないような気がしているわけです。
言葉で言うと、当たり前にしか聞こえませんけど、「美術館」は「ホンモノ」を見せる場所であった方がいいような気がするわけですね。

そういうことから、「美術館」は「見世物小屋」とは「決定的にチガウ空間」であってほしいなと思っているわけです。
でも、少しなんですけど「見世物小屋感」が出てきているわけですねぇ。
しかも、それが徐々に増えてきているような気もするわけです。

つまり、「現代美術」においては「ホンモノ」と「ニセモノ」の境界線が見えにくく成っているわけです。


これは、「現代美術」が追い求め続けて来た「オリジナリティ」=「独創性」の影響だと思うわけです。
「オリジナリティ」を追い続けた結果、そのネタが尽きてしまっているわけです。
それで、どんどん極端に成って行って、一時期は『とにかく変わったことをやらないとダメなんだ』というような状況になってしまったために、「キワモノ感」が出てきてしまっているんだと思います。
 
もともと、「芸術の20世紀」において、この「オリジナリティ」という言葉が間違った解釈で捉えられたということがあると思うんですね。

つまり、「オリジナリティ」=「人と違うこと」これが間違いだと思うんですよね。
「オリジナリティ」=「自分であること」こっちが正解じゃないですか?

これ、一見同じように見えるかもしれませんけど、ぜんぜん違います。
「人と違うこと」は「人=自分以外の人」が基準に成っています。
だから、「本当の自分」とは全く無関係にでも「人と違うモノ」は創ることが出来るわけです。
たとえば、自分が作りたくないモノでも「人と違うモノ」である可能性は十分にあるわけです。

でも、「自分であること」は「自分=本当の自分」が基準ですから、「自分」を追求していかないと成らないわけですね。
だから当然、自分が創りたいモノを創らないと成らなくなるし、その「自分の作りたいモノ」を」をさらに突き詰めていく必要が出てくるわけです。

そういう所から、生み出されるモノこそが「ホンモノ」ということなんじゃないんですか?
そして、そういう「ホンモノ」を見る場所が「美術館」という場所なんじゃないのかなと思うわけです。

もちろん、「現代美術」すべてが「キワモノ」や「インチキ」とは言いませんが、少なくとも、いま言われているところの「現代美術」は、この「オリジナリティ=人と違うこと」というギミック(罠のようなモノ)から抜け出せていません。

ということは、「本人(自分)ではないオリジナリティ」が認められてしまうということです。
そこには、「ニセモノ性」が入って来てしまうということです。
しかも、「オリジナリティ」が出尽くしてしまった感もあるわけですから、より奇をてらったモノ、より普通じゃないモノという方向に行くのは当然の流れで、そうなれば、「よりニセモノであるモノ」という本末転倒な結論が出て来るのも、当然と言えば当然の結果であるわけです。

そういう状況の下では、「度肝を抜くようなニセモノ」と「やや地味なホンモノ」を比べた場合、「度肝を抜くようなニセモノ」の方が圧倒的に高く評価されてしまうわけで、「ホンモノ」が「ホンモノ」であり続けるには「度肝を抜くようなホンモノ」を創り出さなければならなくなります。
でも、そんなモノめったに出来るわけがありません。
だから、「ニセモノ」の方が数において圧倒的に上回ってしまうわけです。

 ※ここで「ニセモノ」と言っているのは、「ニセモノ性」がそれ相当に混じってしまって
  いるモノということです。
  つまり、流行を追ったモノや、人のスタイルをマネているモノなど、作者本人の中心
  から、やや離れたところに根拠があるモノのことです。
  必ずしも、そういうモノがダメだということではありませんが、「芸術度」としては、低く
  なるということですね。

まぁ、その結果こそが「美術館の見世物小屋化」であると言ってもいいんじゃないかと思うわけです。


現在、「美術館」に行く人は、二つのタイプに分かれています。

一方の人は、「お勉強」や「お上品」を好むような「保守的な人」ですね。
もう一方は、「知的なヒネクレ屋」とか「新しいモン好きで自負心が強い系」の「リベラルな人」です。
要するに前者が「古典美術の愛好者」で、後者が「現代美術の愛好者」ってことです。

 ※『私は両方とも同じくらい見ますよぉ』っていう人は、ほとんどの場合「本質的に
  は古典派」だと思います。
  でも、自分が「頭の固い保守派」だと思われたくないので、少し無理して「現代美
  術」を見ているわけです。
  たぶん、本人も無理していることに気が付いてないですけどね。
  そして、それこそが、まさに「現代美術の愛好者」の本当の姿だと言ってもいいと
  思います。
  つまり、本当の意味で、「現代美術」を愛好している人は、ほとんど居ないというこ
  とになりますね。
  彼らは、ただ単に、「刷り込まれた情報」として、すでに既成概念化した「現代美
  術」を受け入れているだけです。


そこで問題なのは、どちらも必ずしも「ホンモノ」を求めていないような気がすることなんです。
たぶん、『そんなことは無い!』と言うんでしょうけどね。

「古典美術の愛好者」が「現代美術」を見ようとしないのは「現代のホンモノ」を諦めているからだと思いますし、「現代美術の愛好者」は「ホンモノ」は真面目すぎて面白く無いし、自分には重たすぎると思っています。
どちらも、どこかで「ホンモノ」を見限っているところがあると思うわけです。
 
そして何より、「見世物小屋」と同じように『まぁ、話のタネに一応行っとこうか』と言う人が非常に多いと思います。

大したことは言ってないわりに、話が長くなりましたが、まっ、取り敢えず、「美術館」は「見世物小屋化」しない方がいいんじゃないのかなと。

『「ろくろっ首」とか「カッパのミイラ」とか見たくないでしょ?』

『いえ、見たいです!』
『スゴク、見たいです!!』

「そぉーですよねぇ、見たいですよねぇ~」
「いいんじゃないんですかぁ~、人それぞれの自由でぇ~」

と、思っております。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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