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「ミニマム・アート」のススメ(「ミニマル」じゃないよ)



「ミニマル・アート」と言うのがありますが、私の場合は、どちらかと言うと「表現の幅」を広げたいと思っていますから、「表現」を「ミニマル」にしたくはないわけなんですねぇ。

でも、「表現の幅」は広げたいんですが、その「表現」においては、出来るだけ「精神性」を大事にしていきたいという気持ちがあるわけです。
言い換えると、「表現」の中の「物質性」を最小限にとどめたいということです。

つまり、単なる「最小限」じゃなくて、「物質的な意味に限っての最小限」を目指したいと思っていて、そういう「物質的に最小限の表現」を目指すことを、自分の中で「ミニマム・アート」と言っているわけです。

 ※もう一つ、私のおススメで「スロー・アート」というのがあるんですけど、
  それとワンセットのモノだと考えております。
  そちらは、『やたらとゆっくり時間をかけて制作する』という、とっても非
  現代的なスタイルです。

たとえば、「作品の大きさ」については前にも書いたことがあるんですが、『現実的な範囲で出来るだけ小さくする』という方向で考えていますし、「素材」や「メディア」についても、過度にそれに頼らないよにしているつもりです。
まぁ、要するに、『珍しい素材を使うことで新しさを出す』というようなことではなく、いつでも『そこら辺にあるモノでも表現することはできるでしょ』と言えるようにしておきたいということですね。

とにかく、「物質性に頼らない創作&表現」を目指したいと思っているわけなんです。

かつて「ミニマル・アート」が「最小限の表現」を目指してしまったために、「表現の幅」を狭くしていって、最終的には「表現」自体を見失ってしまったことは、現在振り返ってみれば、明らかなことではないかと思います。

そんな「ミニマル・アート」の作品が、いまだに「20世紀芸術の傑作」とされているのは、その「デザイン性の高さ」によるところが大きいと思います。
しかし、「デザイン」というのは「芸術」の中では最も工業的であり、かつ、最も「個人性の薄いジャンル」ではないかと思うわけです。
それを「芸術の中心」に置いてしまうと「芸術」の中の「個人表現」の部分がないがしろにされていくことに成ります。

そういったことから、私は「ミニマル・アート」を「芸術の20世紀の遺物」の一つだと思っているわけですが、「ミニマル・アート」が目指した方向はチョットずれていただけであって、根本的には正しい所もあったんじゃないかと思います。
つまり、その「正しい部分」に当たるのが「物質的な意味での最小限」ということなんじゃないかと思うわけなのです。

要するに、「物質的には最小限」であり、「精神的には最大限」であることが理想なわけです。
そして、「精神」を表現するためには「最低限の物質性」を必要とするということなんだと思います。
だから、「大きさ」は小さい方がいいし、作品を「モノ」として見たときに、出来るだけ「工業的」ではなく「手作業的」である方がいいように思うわけです。

ところが、「現在の芸術の世界」を見ると、どうも、それとは正反対の印象があって、どちらかと言うと「物質的」には「大型化」する傾向があるのに、「精神的」には「スマートなモノ」が歓迎される傾向があって、それを『センスがいい』と言っているような気がするわけです。
少なくとも「現在形の芸術」において「小さい作品」が一段低い扱いを受けているのは確かなことですし、いろいろな意味で、「スマートな作品」じゃないと「現在形の芸術」と見られない傾向があるのも間違いないことなんじゃないでしょうか?

でも、本来、「個人性」というのは、他人から見たら「異質感」や「違和感」を伴うものであるわけで、「鑑賞者」から見れば、「個人性」の高い作品ほど「トゲ」のようなものを感じるハズなわけです。
そういうゴツゴツした感触のある作品は、当然「スマート」じゃありませんから、「現在形の芸術」とは扱われていない場合が多いということです。

個人的に、そこのところを、逆転したいので「ミニマム・アート」ということを考えているわけです。
(まぁ、自分の中だけでも逆転したいと思うわけですね)

作品が「大規模化」したり「工業化」すると、一般人が「芸術」に近づけなくなってしまいます。
そうなると、「創作者」と「鑑賞者」はキッパリと分け隔てられて、常に「創作者」が優位に立つように成り、「芸術」は「専門家だけの世界」になってしまうでしょう。
でも、それで一番身動きが出来なくなるのは、実は「創作者」の方です。

「ミニマム」であることで、誰でも「芸術」の近くに立つことが出来ますし、「手作業」に立ち返ることで、誰もが「制作の過程」を理解したうえで「鑑賞」することが出来るようになります。
そこで、はじめて「創作者」と「鑑賞者」が対等に対峙することに成り、結果的に「芸術の世界」が開かれた世界と成れば、一番助けられるのは「専門家=創作者」達だと思いますよ。

「芸術」においては、「鑑賞者」は「創作の過程」をある程度知る権利があると思います。
それでないと、本当の意味で「芸術」を理解することは出来ないと思いますから。
どうやって作ったのかが、素人には絶対にわからないようなものを創ってはいけないんじゃないかと思いますね。
それだと、素人は『ありがたがって見る』しかなくなってしまいますから。

それでは、「マジック」に成ってしまうと思うわけですね。
「芸術」においては、手品のようなうに「タネ」を見せずに、見た人を『あっ!』と驚かすことではなく、『作者が、どこまで自身の「タネ明かし」を出来るか?』、つまり、いかに赤裸々な自分を提示することが出来るかが大事なんだと思うわけです。

そんなことからも、「ミニマム・アート」をおススメしたいなと。
(「スロー・アート」も!)


そういう風に思っているわけです。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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