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「長い題」=詩のような題(その8)



「長い題」=詩のような題(その8)です。

『ええ、「題」だけですけど、なにか問題でも?』

「長い題」=詩のような題(その8)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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そぼく すぎず 
じゅんすい すぎず

それでいて いとも きまじめで 
ひとに きをつかわずに なにかを することなど できるわけもなく 
したがって ろくなことなど ほとんど できたためしがない

そんな にんげんに うまれついてしまった ぼくが
こんなにも ふつうの じんせいを 
こんなにも せいじつに いきているというのに
どうして こんなにも ややこしくて めんどうなことに なるのか

なにゆえ もっと たんじゅんに いきられないのか


そういったことが まったくもって りかいできないと 
いつも おもっているような


『ソウイウ ニンゲンデ ボクハ アリタイ』

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かなしいときに なみだが でない

うれしくも ないのに わらってしまう

わるいと おもってないのに あたまを さげ

たいしたこと ないよと おもいながらも
かんしんした ふりをする


だけど ほんとは

じぶんが えらいと おもってる
じゅうぶん りっぱな ひとだと おもってる


でも もっと ほんとの ところでは

そんなこと いうほどの じしんは なく
いつも ひとの かおいろを みて いきている


そう これは ぜんぶ わたしの ことですが
そうです ぜんぶ あなたの ことでもあるわけです

あなたが だれでも おんなじです
ちがうと いっても かわりません


わたしも あなたも そういう いきもので あるのです


だから とっても いやなんだけど

『ソウイウ ニンゲンデ ワタシハ アリタイ』

きっと わたしたちは
そんなふうに おもっているに ちがいありません

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うつくしいものも おもしろいものも もう いらない


うつくしいものは しぜんが ありあまるほど あたえてくれる

にんげんは おもしろいものばかり つくりつづけて 
よのなかを おもしろいものだらけに してしまった


だから もう そういうものを つくりだす いみは ない

いま にんげんが つくりだす いみが あるものといえば
それは じぶんじしんの すがただろう


にんげんの すべてを あらわすことは できないが

もし かりに 
それが ひゃくぶんのいちでも できたなら

にんげんの ほんとの すがたを 
いっしゅんたりとも みせることが できたなら


それは きっと

『なみだが でるほど おもしろく
ふるえるほどに うつくしいもの』に なるだろう

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『つやとは』 

いろとりどりの かじつや 
なんごくの しょくぶつの はの
はだのようなもの


つやとは 

ながれるような かたちの 
ガラスや とうきが はんしゃする ひかりのようなもの


そして つやとは 

ひとの こころが もっている 
ひとどうしを ひきつけあう みりょくのようなもの


ときに あいらしく
ときに なやましく
そして ときには ゆうゆうしく

ひとの こころを ひきつけて やまない


そんな つやが

だれの こころのなかにも かならず あるはずなのです

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たのしくて たのしくて
いきているのが たのしくて

かなしくて かなしくて
いきていくのが かなしくて


しぬのなんて こわくない
いま いきて いるから

いきるのなんて こわくない
きっと いつか しぬから


それなのに
どうしても たのしくて
どうしても かなしい

どうしようもなく たのしくて かなしいので
だったら それで いいんじゃないかとも おもうんですが

それにつけても
『あまりにも たのしくて あまりにも かなしい』


それぐらいで いきていくには ちょうどいいんだと おもいます

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はじめの二つは『宮沢 賢治』さんの『雨にも負けず』から発想したものです。
というか、出来てくる途中でそういう方向に持っていったという感じですね。
『宮沢 賢治』さんは、たぶん、けっこう好きなんで。

『たぶん』というのは、本を読んだりしたわけではないので、ハッキリしません。
っていうか、『雨にも負けず』自体、これを書いた後ではじめて「全文」を読みました。
ずいぶん長いんですねぇ。
最初の所と、最後の所しか知らなかったのかなぁ?(これも、たぶん)

『雨にも負けず』からの引用(少し違いますけど)であることがわかるように、その部分をカタカナにしています。



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