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『命を削って描いてはいけない!』:「幸福な芸術者のモデル」



よく、貧乏な絵描きさんが早死にしたりすると、『あぁ、彼は命を削って描いていたからねぇ』と言われますよね。

そう言う人の話には、いつも心を動かされてしまいますし、そう言う人はたいていとても素晴らしい絵を描いていますから、絵の方にも惹かれることが多いわけで、当然『そうそう、彼は絵を描くために生きていたような人だよね』と言いたくなってしまうわけなんですが、でも、反面『もうそろそろ、そう言うのは止めないといけないんじゃないか?』とも思うわけなのです。

要するに、『命を削って描く』ということを「スバラシイこと」にしてしまうと、「不幸な芸術者のモデル」が出来上がってしまうような気がするわけです。

 ※「芸術者」:=「創作者」・「鑑賞者」・「批評者」を一括して呼び現す
  言葉として私が使っている言葉です。
  この三者を対等な関係として考えるために使っています。

でも、過去はともかく、これからは「幸福な芸術者のモデル」を作って行った方が、「芸術」が少し良くなるような気がするわけです。

確かに『命を削って描ける人』は貴重な存在だと思いますし、専門家に限って言うならばそういう部分も必要に成ってくる場合もあるのかもしれませんが、それを「芸術者のモデル」にしてしまうと、かなり、「芸術への入口」が狭くなってしまうのも事実です。

命を縮めることに成るかも知れないわけですから、とうてい「素人」が迂闊に近づけるモノではありません。
でも、みんな最初は「素人」なわけですから、そういう「あまりにも困難な所」に「モデル」を設定してしまうと、普通の人は近づかなくなってしまうでしょうし、『要するに「芸術をやること」っていうのは「不幸に成る」って言うことなんでしょ?』というイメージを創り出してしまうことにも成りかねません。
そうなってしまうと、「芸術」が「いいモノ」なのか「わるいモノ」なのかすらわからなくなってきてしまうわけですから、出来れば「幸福な芸術者のモデル」を作って行った方がいいんじゃないのかなと思うわけです。

現在の「芸術の世界」においては、「不幸な芸術家のモデル」と「エライ芸術家のモデル」はありますが、「普通の芸術家のモデル」や「幸福な芸術家のモデル」が存在していません。
「普通の人」は「芸術の世界」では「エラク成れない」と考えられていますし、「エラク成った者」だけが「幸福に成る」と思われています。
そして、実際にもほぼそう成っています。

私には、この状態が異常なモノに見えるわけですね。
「普通の芸術者」も当たり前に居るものと思いますし、「芸術者」の中に「エライ」と「エラクナイ」は存在しないと思います。
それに、「芸術」は、そもそも「人を幸福にするもの」だと思いますから、全ての「芸術者」が「幸福な芸術者」」であるべきなんじゃないかと思うほどです。

つまり、「命を削って描く人」は、もしも短命であったり貧乏であったりしたとしても、『こころゆくまで自分の芸術に没頭した』という意味では、「最も幸福な芸術者」でもあるんだと思うわけです。
でも、そのことが見逃されていて「短命」とか「極貧」とか「存命中には評価されなかったこと」とかばかりが強調されてしまうので、どうしても「不幸な芸術家のモデル」のように成ってしまうわけですね。

そういったことから、出来れば、「普通で幸福な芸術者のモデル」が作られていくことを望んでいるわけです。
私は、ほとんどの人間が「芸術者」であると思っているくらいで、「芸術者」でない人の方が特殊な人なんだと思うので、「普通の人」が「芸術者」であることは、ごく当然のことだと思いますし、人が「芸術者」としての立場を持つことで確実に「幸福」に近づけるものと思っていますので、「幸福な芸術者」もたくさんいると思うわけです。

だから、これからは「貧乏」とか「売れない」とか「評価されない」とかいうようなことは、どちらかと言えば「ツマラナイこと」であって、そんなことよりも、『「自分の芸術」や「自分の表現」に没頭できる瞬間を持つことが出来たこと』の方が、その何倍も「幸福なこと」であって、つまり、「芸術者」としての誇りを持って「芸術」に取り組んでいるということ自体が「幸福な芸術者」の十分な条件であるということが常識に成って、そういう人たち全てが、「幸福な芸術者のモデル」となって行けばいいんじゃないかと思っているわけです。

そうすれば、現在のように美大を出たのに、その後パッタリと創作活動をしなくなってしまう人や、作品を売るために「自分のスタイル」を曲げて、いかにも当世風な作品を創る羽目になっている人や、『自分の中の芸術は、もう完結した』という「あきらめの小箱」に自らの創作欲をしまい込んでしまう人などが大量生産されることは無くなるような気がします。

要するに、「やる気」さえあれば、「死ぬ思い」までしなくても、「芸術者」としてソコソコ「幸福」に成れるということが大事だと思うわけです。
そういう誰にでも達成可能な目標値があれば、「やめてしまう人」や「挫折する人」が少なく成って、当然「芸術」全体の層が厚く成るわけですから、「芸術」自体も活性化するんじゃないのかなと。

そんな風に思います。

だから、いま敢えて、『命を削って描いてはいけない!』と言いたいわけなのです。
そして、「幸福な芸術者のモデル」を創り出せたら少しだけいいんじゃないのかなと。

そんな風に思っているわけです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※上の画像は習作として描いた絵に洋金箔を貼ったものです。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

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