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「長い題」=詩のような題(その9)



「長い題」=詩のような題(その9)です。

「絵」が進まない時に限って「題」は出来るみたいですね。
困ってます。

まっ、「題」だって、なんにも出来ないよりはいいさぁ~。
「長い題」=詩のような題(その9)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たいこの むかしから 

あるがままという たいだを 

ただ まんぜんと つづけてきた だいしぜんの うずに まきこまれながらも

なんの こんきょもなく こんなにも きょだいかしてしまった だいとかいは

こうぎょうかの もたらす とてつもなく ふきんこうな きんこうを

いまも へいぜんと たもちつづけている

その じんこうという こざかしい くうかんの なかで

みずからの ちんけな ちせいと

ごうまんな りょうしんの かけらに うめつくされて 

おぼれしんで いきながらも 

にこにこと ほほえみを うかべて 

ねぼけた ていさいを つくろうことや 

せいろんという じょうひんな ぼうりょくを ちらつかせて

ちんちくりんな じふしんを みたすことだけは かかさない


そんな あいらしい にんげんたちが とじこめられてしまっている 

『この ぜつぼうてきに へいさてきな くうかんを

いま ぼくの なかで かいほうする』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いつでも どんなときでも

にんげんらしい にんげんで ありたいと おもうわけですが

いつでも どんなときでも

ひとは みな フル・タイムの にんげんで 

いられる はずだと おもうわけですが


なかなか そうも いかないようで

ひとは すぐ にんげんいかを やってしまう

にんげんみまんに おちてしまう


つまりは 

ひとは みな 『パート・タイムの にんげん』で あるわけです


それなら それで しかたがないとも おもうわけですが

それなら それで がんばろうとも おもうわけで

それなら それで いまだけでも 

なんとか にんげんらしく していようと

いっしょうけんめいに おもうわけなのです

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『ぼくは ひとつぶ』


ぼくは すなはまの すなのなかの ひとつぶ

ぼくは うちゅうの ほしのなかの ひとつぶ

ぼくは ただよっている ほこりのなかの ひとつぶ

ぼくは しゅうかくされて あつめられた こめつぶのなかの ひとつぶ


つまらないと いえば つまらない

おもしろいと いえば おもしろい

どうでもいいと いうことも できるし 

たいしたものだと いうことだって できる


ひとつぶであることを ひげして なやむことも ある

ひとつぶであることを じまんして ひけらかすことも ある

ひとつぶのかちを ばかにして わらうひとも いれば

ひとつぶのかちを とてつもなく すごいことのように いうひとも いる


じぶんの ひとつぶを ひとの ひとつぶよりも 

おおきいと おもうことも できるし

ちいさいと おもうことも できる


でも ほんとうは みんな おなじ ひとつぶ


ぼくには そんな ひとつぶの かちが ある

そのかちを ひていできる ひとは いない

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちゅうを まう

『あざやかに ちゅうを まう』


ときを とめ

くうかんを とじた このせかいの なかで

それは あざやかに ちゅうを まうのです


むかう さきもなく

なんの もくてきも ないというのに

けっして おちることは なく


まるで つきの みちかけのように せいかくに

そして ただ あざやかに


そうです

それは ただ ひたすら あざやかに 

ちゅうを まいつづけ

みごとに このせかいを おきざりにして しまうのです

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『できることは ひとつだけ』

できないことは たくさん


できることなんて ひとつだけ

できないことなんか やまほど


でも そのひとつだって わからない

できないときも あるから


でも そのひとつ

もし ひとつだけ できたなら

それは あなたの いみなのです


いえいえ ちがいます

たくさん できては だめなんです

ひとつ じゃないと だめなんです


ひとつだけには いみがある

ひとつじゃないと いみがない


そのひとつ 

いま あなたは それが できている

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちなみに、この中で、出来ている「絵」があるのは一つだけで、なんとなくこんな絵を描こうと思っているのが一つです。
他のは、該当する「絵」がまだありません。
『いかんいかん!』
『でも、まぁいいかぁ』


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※上の画像は習作として描いた絵に洋金箔を貼ったものです。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

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