「長い題」=詩のような題(その10)
「長い題」=詩のような題(その10)です。
いやぁ、マズイですねぇ。
ドンドン長く成ってます。
こんな「題」に見合う「絵」ってあるんだろうか?っていう疑問はあるんですが、いちおう、この「長い題」も作品の一部ということに成っております。
そんな感じで、「長い題」=詩のような題(その10)です。
『 』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)
あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。
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アスファルトで おおわれた
ちきゅうという はいいろの ほしが あるという
かつては あおと みどりの ひかりに つつまれていた その ほしには
けんりょくは うばいあい
せきにんは おしつけあい
それでいて じょうひんぶった ちしきや
みえと じふしんだけで つくりあげた かんせいを
みせあって あそぶという とぼけた しゅうせいがある
にんげんという いきものが いたという
その にんげんという いきものは
みずからが たんなる りゅうつうしゅだんとして うみだした
かねという もうそうに
とらわれ しはいされ ほんろうされ
さいごには はかいされてしまった
しかし あらたな しゅうせいを みにつけたものだけが いきのこり
あたらしい いきものとして うまれかわった
その あたらしい いきものは
いまも はいいろの ちきゅうに すんでいるが
いまでも ちきゅうが あおいひかりに つつまれていると
しゅちょうしている
かれらは いまだに かねを すうはいし
それに ぜつだいな ちからが あると しんじているが
それを ぶんめいと よぶことによって
そこに むじゅんは なくなるものと かんがえている
かれらは ありとあらゆることの なまえを よびかえることによって
じぶんたちが うみだした むじゅんを
すべて わすれさることに せいこうした
かれらは かんせいされた せいかつを てにいれ
もはや なにひとつ こまることは なくなった
つまり かれらが みにつけた あらたな しゅうせいとは
すりかえに ほかならない
あらゆることにおいて ほんしつを ついきゅうせずに
ぶなんで ここちよいものに すりかえて
つじつまだけを あわせる
しんじがたいことだが
かれらは このしゅうせいを みにつけたことによって いきのこり
いまや かつてないほど はんえいしているという
さて ところで
この あたらしい いきものたち こそが
いま ここにいる われわれであるとする ぞくせつが ある
もちろん おおやけに みとめられた せつでは なく
まったく こんきょの ない うわさで あって
すくいようもないほど こっけいな めいしんでは あるのだが
『その めいしんの なかに ねむっている
しんじつのとびらを いま ぼくのなかで ひらこう』
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しんぴんの ふくを きて
しんぴんの くつを はき
しんぴんの いえを でる
しんぴんの くるまに のって
しんぴんの みちを はしり
しんぴんの ビルの なかで
しんぴんの しごとを する
しんぴんの きゅうりょうを もらい
しんぴんの みせで
しんぴんの しょうひんを
しんぴんの ふうとうから だした
しんぴんの かねで かう
そんな まあたらしくて ピカピカの
しんぴんの まちの くらしには
ちり ひとつ おちていない
どろの ついた ところは どこにもない
だから じつに かいてきだ
そんな まばゆい しんぴんの せいかつの なかで
だれかが といただした
きみは どろの においが なつかしくないのか
その ちのけのない ビニールのような しょくひんは うまいのか
きずだらけの はしらがある いえに また すみたいとは おもわないのか
あの きふるして しなしなになった ふくの はだざわりを
いったい きみは わすれてしまえると いうのか
そこで また べつの だれかが つづけた
ところで その しんぴんの みなりをした きみの なかみは どうなんだ
にんげんは いつまで しんぴんで いられるのか
そもそも しんぴんの にんげんなど いるのか
また いたとして それに いみが あるのか
この といかけによって
ひとの こころの なかの しんぴんの せかいが ほうかいした
ゆめの くらしは うしなわれ
ふるびた げんじつが あらわれた
でも それなのに
この しんぴんの まちは いまも ここにある
いちど うごきだしたものが やすやすと とまることは ない
だれかの といかけぐらいでは とまらない
つまりは だせいで つづいていく
『にんげんは もう げんじつを うけいれる じゅんびが できているというのに』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
よのなかは きかいじかけで うごいている
はぐるまは せいかくに ときをきざみ
すべての ぶひんは かんぺきに せいぎょされている
こわれた ぶひんは はずされて
すぐに あたらしい ぶひんに とりかえられる
しんぴんの ぶひんは いくらでも ある
だから だれも こまりはしない
だったら それは それで いいんだろう
さて そこで こわれた ぶひんは どうしよう
つぎから つぎへと はずされて
ずいぶん たくさん たまってる
まがった ぶひんが たまってる
だったら なにか つくってみよう
まがった ぶひんを つかってみよう
もしかして おかしなものが できるかも
もしかして へんなものが できるかも
いや きっと たのしいものが できるだろう
そう きっと やわらかいものが できるだろう
だって まがった ぶひんで つくるのだから
やわらかいものが できるはず
その やわらかい ぶひんに つつまれて
きかいじかけの よのなかが すこしづつ うごきだす
『やわらかく うごきだす』
そうしたら いつのまにか
せいかくさは わすれられ
かんぺきさなど かげもない
でも それなのに
やっぱり だれも こまりはしない
だったら これも これで いいんだろう
これも これで たのしいならば
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
きっと きみは さみしいんだね
だから こんなに かがやいている せかいのなかで
ひとり ぽつんと かなしそうに しているんだね
それとも もしかして
ほんとは とっても うれしいのかい
だから こんな とじこめられた ばしょで
ひとり かがやきを ふりまき つづけているのかい
それとも・・・
いいえ
わたしが ここに いるのは さみしいとか うれしいとか
そういうことでは ありません
ただ わたしは
どうしようもなく なやましくて
たえられないほど もどかしくて
それで わたしの からだじゅうを
ぜつぼうてきな よろこびが くるおしく めぐっていて
だから わたしは
ただ こころを しずめるために
『ここに ひとりで さいているのです』
でも わたしのことを きにかけてくれて うれしい
ここに かくれて さいている わたしに
きづいてくれる ひとが いるなんて
わたしは そのことが ほんとに とっても うれしい
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『ほんせいに めざめよ』
いま ばんぶつに よびかけよう
おのれの おくに うめこまれた
ほんしつを ほりだし みきわめよ
みずからの しんじつの すがたを みつめて
それを はんだんせずに うけいれよ
みにくいとは はんだんせずに
なぜなら うつくしいのだから
はずかしいとは はんだんせずに
つまりは ほこるべきものなのだから
いっさいの はんだんを しりぞけて それが うけいれられたとき
ほんせいは ねむりから めざめる
このよに ひときわの かがやきを はなって
しんじつの すがたを あらわし
それは せかいに あらためて しゅつげんする
その あまりにも まばゆい すがたを みつめることは
だれにも できない
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『長すぎ!!』
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