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「信念を貫くこと」と「信念を曲げること」



「信念を貫くこと」はとても立派なことだと思いますし、実際にも褒められたり称賛されたりすることが多いと思いますが、「信念を曲げること」だと、どちらかというと「情けない感じ」だったり、低く見られたりすることことが多いですよね。

でも、この二つの内どっちが難しいと思いますか?

私は圧倒的に「信念を曲げること」の方が難しいと思うんですねぇ。

意外と気が付かないんですけど、実はほとんどの人が「信念を貫いて」生きています。
だから、「信念を貫くこと」はそんなに難しいわけでもないと思うんですよね。
ただ、「その信念」が必ずしも「立派な信念」だとは限らないわけで、本当の意味で難しいのは「立派な信念を持つこと」であり、また、「それを貫くこと」でもあるわけですけど、それよりさらに難しいのが「信念を曲げること」なんじゃないかと思うわけなんです。

まぁ、要するに「信念を貫くこと」が立派なことだと言われるのは、「その信念」が「立派な信念」だった時に限っての話で、「立派じゃない信念」をいくら貫いて生きていても、誰も褒めてくれません。
(そもそも立派なモノを「信念」というのかも知れませんが、まぁ、そこは置いといて)
それどころか、そういう時には、「信念を貫いている」という事実すらも認めてもらえなくなってしまうわけです。
(当たり前と言えば当たり前ですけど)

だから、そういう事例は「信念を貫らぬくこと」には入らないということにされているわけなのです。
そういうのは、だいたい「頑固者」と言われていますね。

でもですよ。
たとえ、「立派な信念を貫いている人」でも、「頑固者」であることに、実は変わりないんじゃないかと思うわけです。
頑固じゃない人は、やっぱりいい意味でも悪い意味でも柔軟なわけですから、その辺の所もやっぱり柔軟なわけですが、意思が強固な人というのは「信念」に関しても強固ですが、「頑固さ」も強固なわけですね。

ということは、「頑固」と「信念」は、ほとんど同じようなモノで「いい頑固」を「信念」と言っているようなところもあるわけで、融通が利かないという点ではほとんど同じだと思います。

だから、ある人から「信念を貫く立派な人」だと思われている人が、他の人(たとえば家族など)からは、ただ単なる「頑固者」として扱われているということがよくあるわけですね。

ここで、はじめの話に戻ると、ほとんどの人が、どこかしら「頑固者」であって、その中の「自分のためにだけ頑固な人」が「頑固者」と呼ばれ、「人のためにも頑固な人」が「信念を貫く人」と言われているということです。
まぁ、やっぱり「自分のためだけ」の人は沢山いますが、「人のためにも」の人は少ないわけですけど、全部合わせるとけっこう居るわけです。
だから、ほとんどの人が「信念を貫いて」生きているということに成るわけですねぇ。


でも、もう一方の「信念を曲げること」に成ると、なかなかできませんね。
というか、一生のうちで何度もできる人なんて居ないような気がします。
(私は、とてもできません)

「人のためにも」の人よりも少ないと思いますね。

人には必ずその人の中の「正義」とか「道徳」など「イイこと」の規準があります。
その「規準」がその人の「信念」でもあるわけです。
その規準に従って生きているので、デタラメに成らずに生きていかれるんだと思います。
逆に言うと、その規準を失うということは、その人が「生き方」を失うということです。
多くの場合、全てのことがどうしていいかわからなく成ったり、絶望的な気持ちに成ったりすると思います。

そして、その「規準」を自ら曲げるという行為が「信念を曲げること」なんだと思うわけです。
だから、なかなかできないと思うわけなんです。

一生のうちで一度でも「人のために信念を曲げた人」は無条件に尊敬しますね。
そういうのこそが「立派」と言えることなんじゃないかと思ってしまいますねぇ。

「人のために信念を貫く人」でも十分立派なんですけど、そちらはみんな褒めますから。
でも、例え「人のため」であったとしても「信念を曲げた場合」は誰も褒めてくれませんから。
だったら、そっちを褒めておこうかなと。
(まぁ、「自分のために信念を曲げた場合」は褒めることでもないと思いますので、どうぞご自分で褒めて下さい)

そんな風に思ったわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※上の画像は習作として描いた絵に洋金箔を貼ったものです。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

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