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「純粋であること」ではなく「純粋であるために使われた力」を示すことが「現在の芸術の意味」



「芸術」にとって「純粋性」は必要なモノだと思うんですねぇ。
(だって、他に「純粋」なモノなんてあんまりないでしょ?)

昔は、「純粋なモノ」を創り出して見せれば、それが「芸術」だったんだと思います。
でも、今はもうそう言うことでも無くなっているんじゃないでしょうか?

つまり、「物質的な意味でのモノ」には「純粋性」が無くなってしまったということでしょう。
というか、『人間が「物質には純粋性が無いということ」に気が付いてしまった』んでしょうね。
『今、人間は物質の純粋性を信じられなくなっている』と言ってもいいと思います。
(また、そこへ戻ることもあるのかも知れませんね)

それで「精神的な純粋性」を追求するように成ったんだと思います。
でも、それももう百年ほど前のことで、その後現在に至るまで「芸術」は、ほぼ停滞した状態を続けて居ると言ってもいいと思うわけです。

で、現在は「ナニ」によって「純粋性」を追求していけばいいのか?ということです。

私は「純粋であるために使われた力を示すこと」によって伝えられる「純粋性」を追求していこうと思ってやっているわけです。
つまり、「作品」自体と言うよりもそこに使われた「力」を提示することによって「純粋性」が伝えられれば、それが「現在形の純粋性」に成るんじゃないかと思っているわけですね。

そういうわけで、『どんどん無益に労力を使っていきましょう!』と思います。

「無益なこと」ほど「純粋なこと」は無いので。


そんな風に思っていますねぇ。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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