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「芸術」=「美術」に成ってしまうのはナゼなんだろう?



「音楽」や「文学」や「演劇」や「その他いろいろ」や、「芸術」と言われるジャンルに属しているモノはたくさんあるというのに、なぜか、ただ単に「芸術」と言った場合は、自動的に「美術」のことに成ってしまうわけです。

これについて、私はよく『ナゼなんだろうか?』と思ってしまうわけなんですねぇ。

他の「芸術系ジャンル」に比べて「美術」が特にエライってことでも無いと思うんですが、なんでそうなってしまうのか?
『こんなこと考えても、なんのトクもないだろうな』という邪念は振り払って考えてみるわけです。

で、一通り考えてみたところ(10分ぐらいかけて)、『美術作品には身体表現が含まれない』ということに行き着いたわけです。

 ※ここで言うところの「身体表現」とは、基本的には「直接身体を使った表現形態」
  を指しますが、場合によっては間接的に「身体表現」を感じさせるようなものも含め
  ています。
  厳密な意味ではありませんが、その辺を追求すると意味が解らなくなる可能性があ
  るのでお許しください。  

たとえば「音楽」だと、「演奏」されることが前提に成ると思いますから、そこに「身体表現」=「パフォーマンス」が含まれるわけです。
「演劇」ならば説明不要だと思いますが、やはり表現に「身体表現」が含まれます。
「文学」は文字による表現ですから、本などの作品自体には「身体表現」が含まれませんが、「小説」のように「登場人物」を介した表現である場合には、結果的に「演劇」と同じような表現形式であるとも考えられるわけで、「登場人物」による「パフォーマンス」をまったく使わずに「ストーリー」を成り立たせることは不可能に近いと思いますので、やはり、そこに「読者の想像上の身体的な表現」があると考えた方がいいような気がします。

唯一、「文学」の中で「詩」というジャンルだけが、「身体表現」を排除することが可能な「表現形式」ではないかと思いますが、「詩」は「文学」の中で必ずしも最大の領域を占めているジャンルではないので、なかなか「詩」=「芸術」とまでは成らないのかなと。
(もしかすると、日本の平安貴族文化や、古代ギリシャなどでは「詩」=「芸術」だったのかも知れませんね)

さて、「芸術表現」の中で「美術」と「詩」だけが「身体表現」をほとんど含まない表現として成り立つ可能性を持っているということなんですが、そのことと、「芸術」=「美術」ということが、どう関係しているのかという話です。

これは「現在形の芸術」が「精神性を重視した芸術」であるということを考えると分かりやすいように思います。
つまり「精神性」に拮抗するものが「身体性」であり「物質性」であるわけで、「現在の芸術」が「精神性」を重視すれば、当然「身体性」や「物質性」は「芸術の中心」からは遠い位置に置かれることに成るわけです。

もちろん、「身体性」や「物質性」がワルイということでも「身体性」があってはイケナイということでもありませんから(というか、それも必要ではあるわけです)、「音楽」や「演劇」などの「身体表現を使った芸術」が『芸術じゃない』とか『芸術として一段低い』とかということはまったく無いわけですが、ただ単に、「現在の芸術の中心」に近いか遠いかということですね。
まぁ、要するに「いま最も芸術らしいモノ」はどれなのか?というようなことだと思います。

どちらかと言うと、「現在形の芸術」が「精神性」を重視しているというよりも、もともと、現在「芸術」と言われているモノ自体が「精神的なモノ」なんだと思うわけです。
つまり、「美術」や「音楽」や「文学」などの中に含まれる「精神的な部分」を「芸術」と言うんだと思います。
それらのジャンルは、「エンターテイメント」=「娯楽」としての機能も持っていますし、「技術」という側面もあります。
でも、「技術」は「身体的」な面だと思いますし、「エンターテイメント」は「精神的」ではありますが、「純粋性」においてはやや低く成るわけです。
そして、それらのジャンルの中に含まれている一番純粋に「精神的」な部分が「芸術」ということに成るんだと思います。

ただ、ほとんどのジャンルにおいて、その「芸術」を表現する時に、「身体表現」を使うことが多いので「精神性」の純度が少し低くなるということがあるわけです。
この点、「美術」は「作品」の中に「身体性」が含まれている比率が低いので、最も「芸術」らしく見えるということなんだと思います。

あと、この記事を書いていて、もう一つ気が付いたことがあって、それは、自分が日ごろから『「パフォーマンス・アート」はどうも芸術らしく見えないんだよなぁ』と思っていたのは、「パフォーマンス・アート」が「身体表現」だということが原因だったということなんですねぇ。

さらに言うと、その「身体表現」である「パフォーマンス・アート」が、非常に「精神性の高い表現」であるかのように言われることがあるために、そこに違和感やギャップを感じていたんだと思います。

もともと、「パフォーマンス・アート」が「演劇」に含まれていれば、とくに違和感を感じなかったような気がします。


何はともあれ、「芸術」=「美術」みたいになってしまうのは、「美術作品」が「身体表現」を含まないからということで。

でも、思った通り何の役にも立たなかった。


そんな感じ。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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