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「人間の認識」はかなり幅が狭い



人間の「認識の幅」って、『実に狭いよなぁ』と思うことがチョクチョクあるわけです。
(もちろん、自分も含めて『実に狭い!』と思います)


たとえば「抽象画」を見た人は10人中9人までが『これは、いったいナニ??』っていう反応をしますし(私も他人の抽象画を見てそういう反応をすることがあります)、「抽象画」であることをわかった上で、敢えて『ここは顔ですね?』とか『ここに動物が描かれてますよね?』とか言う感じで、力づくで「具象サイド」に位置づけてしまう人もけっこう多いと思うわけです。
(こちらは、私の場合、あまりないんですが、ただ、一度「ナニカ」に見えてしまうと、その後はその「ナニカ」にしか見えなくなってしまって、「抽象画」として見ることが出来なくなるということは時々あります)
(同じ抽象画でも、その人が既に見たことがあるタイプの抽象画だと『ナニ?』っていう反応が弱くなりますけどね)

そういう見方がワルイということではないんですが、せっかく「抽象画」を見るなら「抽象」の部分を見ないと、それが「抽象画」である意味が無くなってしまうわけですから、どうせだったら「抽象画」として見た方がオトクなんじゃないかと思うわけですね。

まぁ、いずれにしても、「人間の認識」なんて所詮その程度のものなのかも知れませんから、仕方ないことだとは思うんですけど、その辺を少しでも何とかできないもんなのかと思うわけなのです。


例えばの話、丸いものに目が付いているだけでも、それは人間または動物として認識されてしまいますし、それ以外のものとして認識することはほとんど不可能に近いというくらいにむずかしくなってしまいます。
植物なんかでも、いくらデタラメな線を適当に書いてあっても、そこに「これはたぶん花だなというモノ」を描いただけで、ほとんどの人がそれを「植物」としてしか認識できなく成ってしまうわけです。
まぁ、要するに、それぐらい「人間の認識の幅」は狭いということなんだと思いますね。

そうなると、その「狭い認識」からチョットでも外れたものは『きわめて認識されにくい』ということに成ってしまうわけです。

しかし、その「狭い認識」こそが「既成概念」で創り出されているわけですから、そこからは逃れたいわけで、それでないと「既成概念」の言うなりに成るしかないということがあるわけですから、やっぱり、そういう「狭い認識」を外れたもう少し自由なモノを生み出したいという気持ちが出てくるわけです。

「抽象表現」を使っている人の多くはそういう気持ちを持っていると思うわけですが、「人間の認識の幅」に合わせれば「既成概念」に従うことに成るし、「人間の認識の幅」から外れれば人に認識してもらえなく成ってしまいます。
かと言って、「認識できないモノ」を無理にわかってほしいというわけでもないので、どうしていいのかわからなくなってしまうわけですね。
困ったもんです。

要するに、行き詰ってしまうわけですね。
でも、そこの所を少しだけ大目に見てあげて、『目標だけをそこに置いておけばいいじゃないか?』と考えれば、すべてのことが楽になります。
創作する側の目標は「既成概念から逃れつつ人に認識できるようなモノを創作すること」です。
鑑賞する側の目標は「自分の認識から外れた表現を認識するために、認識の幅を少しでも広げること」です。

たぶん、どちらも困難なことでしょうが、「目標」としてそういうことが、そこに置かれていることに意味があると思うわけです。

「目標」があることで、そこに向かうことが出来るようになります。
「目標」が無ければ、どこへ向かっていいかもわかりませんが、「目標」があれば方向だけは決められるわけです。

「達成感のない作業」というのは決して楽なモノではありませんが、そこに「意味」はあります。
その「意味」が少しだけ「芸術」を楽にしてくれるわけです。

そんな中で、「創作者」と「鑑賞者」がそれぞれの「目標」をもって対峙することが出来れば、それはそれで、なかなか幸せなことなんじゃないのかなと。


そんな風に思うわけです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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