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「芸術を好みで判断すること」について



「芸術の判断基準」については、いろいろな意見の方がいるでしょうが、一番ポピュラ―なのは「好み」で判断するということだと思います。
たとえば、「好み」以外の基準を持っている人でも「好み」も重要な基準の一つには入っていると言う人がほとんどだと思うわけです。

まぁ、『好きなモノを見る』というのは当然のことですし、『嫌いなモノは見ない』というのも当然のことではあります。
でも、そこで敢えて言いたいわけです。
『芸術を「好み」で判断する時代は終わっていくだろう』と。


どうしてそんなことを言うかと言えば、「芸術」を「好み」で判断するということは、実は「一種の差別的なこと」であると思うからです。
(あくまで一番極端な言い方をすれば、ということです)

「芸術」が作者の自己表現であるとするならば、その「芸術」を「好み」で判断するということは「その人」のすべてを「好み」で判断してしまうということであるわけです。
つまり、「嫌いな作品」については「作者の人格」も含めて低く見ることに成りますし、「好きな作品」については「作者自身」をも高く評価することにつながるわけです。

たとえ、鑑賞者の側に「その人」自体を低く扱っているつもりが無くても、「その人の自己表現」を低いモノとして扱ってしまえば、「その扱い」を受けた側の人にとっては、結果的に自分自身が低い扱いを受けたのとほとんど同じことに成ってしまうわけですね。
そういう「具体的な基準」のない判断で人を断じてしまって『なにが悪いってんだよ!』と開き直ることを「差別」と言うんだと思います。
だから、それと同じように『芸術ぐらい好みで判断しちゃいけねぇーってのかよ!?』というのも「差別的なこと」だと思うわけですねぇ。
(あくまで一番極端な言い方をすれば、ということです)

ただ、これは誰でもやっていることですし、「嫌いな人」を敢えて高く評価する人なんていませんが、たとえば、職場の上司が部下に対してそれと同じことをすれば、問題が出て来るのも事実です。

まぁ、「エコヒイキ」って言うことに成るわけですね。
上司に嫌われた部下は、いくら真面目に働いても評価されませんし、気に入られた部下はサボっていてもたくさんボーナスがもらえるわけです。
そうなったときには、必ずその職場は腐って行ってしまうのも間違いないことじゃないかと思いますし、それでは、上司も気に入られた部下も腐り果てて行くわけですから、誰のトクにも成らないわけです。
(まぁ、ソントク以前の問題ですけどね)

でも、「芸術」においては、これと同じことが最もスタンダードなことに成っているということですね。
そういうのを「一種の差別的なこと」なんじゃないかな?と思ってしまうわけなのです。
(しつこいようですが、あくまで一番極端な言い方をすれば、ということです)

まぁ、それはともかく、個人的には何かしらの基準はあってもいいんじゃないかなと思っているわけです。


そもそも、どうして「芸術」は極端に「好み」に偏った判断をされるように成ったんでしょう?

おそらく、昔の時代には「技術」が最も有力な「芸術の判断基準」だったんだと思います。
でも、その「技術」が行きつく所まで行って、行き詰ってしまったことで、そこからは「技術」を基準にすることが出来なくなってしまったわけです。

ところが、その後、具体的な「芸術の判断基準」が提示されることは無く、それどころか「芸術」自体も規定されなかったために、何の指標もなく成ってしまったということです。
まぁ、それで仕方なく「好み」というすべての人に平等な基準が、一応スタンダードということに成っているわけです。
(実を言えば「好み」自体が情報で歪められているので平等ではないんですけどね)

「好み」が判断に影響するのは当たり前ですが、それと「好み」を判断の中心に置いてしまうということとは全く違うことだと思いますよ。
職場の上司の話で言えば、その上司が部下に対して客観的な査定を下したうえで、上司の「好み」で最後のちょっとした差が出るのは致し方ないことだと思います。
人間がやってることですから。

問題は、その上司が、その「自分の好みによる差」を小さくしようとしているのか、それともそんなことにはお構いなしに「好み」で判断してしまって『なんか文句でもあんのか?』と言っているのかということです。

つまり、現在、「芸術」においては「査定」に当たる部分が全く抜けているわけですね。
昔は「技術」がありましたが、今、それを基準にすれば「芸術」はまた行き詰ってしまうでしょう。
しかし、今も行き詰っているわけで、同じと言えば同じです。
(「技術じゃないフリをした技術」や「技術のフリをした技術じゃない」を使っているだけだったりしますから)

というわけで、なにか「芸術の判断基準」に成るようなものはないのか?ということに成るわけです。

私は、「その作品に注ぎ込まれた力」を基準にしているわけなんですね。
もちろん、そんなモン作品を見ただけで分かるとは限りませんし、わからないことの方が圧倒的に多いのかも知れません。
(その気に成って見るとわかる時もありますけど)
「技術」のようにわかりやすいチカラだけではなく、「思考に費やされた労力」や、その作家が「生きることに使った精神的な力」なんかもその作品の上に乗せられているのかも知れないわけですから、なかなか見ただけではわからないと思います。
(まぁ、それをできるだけわかるように示すことが「創作者」の仕事なんだと思いますね)
でも、そんな基準ですら、無いよりはマシだと思いますし、それは何とかして「好み」だけではなくてもう少し普遍的な評価を与えようとする努力にはなるということです。

つまり、職場の上司が「公平性」を一顧だにせずに部下を判断してしまうことが問題なわけで、形だけでも判断基準がある場合は、問題があればその上司がそれに付いて問われることに成るわけです。
無ければ、「問い」自体が成り立ちませんよね。

それと同じで、現在「芸術」においては『これが好き(または嫌い)です』と言われた場合、否定してはいけないことに成っているわけで、そういう時には『人それぞれの好みがあっていいんですよぉ、ぜーんぜん問題ありません』と言わなければいけないことに成っているわけです。

そこに如何なる基準も持ち込んでは成らないし、如何なる「問い」も許されていません。
これは「芸術の20世紀」が創り上げた「迷信」の一つだと思うわけです。
それ以前に、自由なのか不自由なのかがわかりませんよね。

そういうわけで、「好み」だけで「芸術」を判断することは「一種の差別」であるのかなと。

と言っても、あくまで『好みだけで~』と言うことであって、「好み」を一切入れてはいけないということではないですけどね。


でも、たとえば、「子供のイジメ」の問題がありますけど、「イジメ」も「一種の差別」から発生しているモノだと思うわけですね。
要するに「人」を「好き・嫌い」で判断してもいいという短絡的な思考があるから、『だから嫌いな子をイジメてもいいんだ』という短絡的な結論が導き出されてしまうんだと思います。

それと同じで、「自己表現としての芸術」を「好き・嫌い」で判断してしまうと、「人の人格全体」を「好き・嫌い」で判断することにつながって行ってしまうんだと思うわけです。
私は、そういう世間の風潮を子供たちが敏感に感じ取ってしまうことから起きているのが、今の学校で起きているような「どうしよもなく救いようがないほど破滅的なイジメ(イジメてる側にとっても)」なんだと思うわけです。

そして、そういう「イジメ」や「差別」が「芸術」に端を発していると言う気がしてならないわけです。
だから、『好きだって言ってるんだからそれでいいだろ!』っていう問題でもないと思うんですよね。

「芸術から一番遠い所にあるモノ」が「芸術」から生み出され続けているのを黙って見ていて、『なにが才能だよ!なにがセンスだよ!!』っていう風に思ってしまうわけですよね。


『お前なんかが、こんな閑古鳥ブログの中でチマチマ言ったことなんて何の意味もないんだよぉ~、ざまーみやがれ!このスットコドッコイが!』

まぁ、そうなんですけどね、
「でも、アンタはそれも言ってないじゃないか?じゃ、スットコ未満ってことだ!あたしゃ、スットコで十分だよ!へっへぇ~!!」

「あぁ、ドッコイでもいいよ!!!」

ってことで。。
(あくまで一番極端な言い方をすれば、ということです・・・念のため)






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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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