FC2ブログ

「芸術を好みで判断すること」について(つづき)



前の記事の続きです。


前の記事では、芸術を、「好み」だけで判断することは、「一種の差別的なこと」なんじゃないか?ということを書いたわけですね。
(あくまで一番極端な言い方をすれば、ということです)

でも、それ以前に「その好み」って、いったいどの程度のもんなんだ?ということがあるわけです。


「好み」って言うと「その人の中で純粋に嗜好されたモノ」ということに成るわけですね。
つまり、「好み」という言葉を使っただけで、自動的にそれが「その人の純粋な好み」であるということに成ってしまうわけです。
でも、実の所、『それほど純粋な好みばかりでもないんじゃないか?』という疑問があるんですね。
いや、それどころか、現時点で「自分の中で純粋に嗜好された好み」を持っていたり、それを把握できている人なんてほとんどいないと思うわけです。

そうなると、「芸術を好みで判断すること」は、決して「自由なこと」ではないし、それほど「楽しいこと」でもないんじゃないかと思えてくるわけですねぇ。

現在の世の中では、「マスコミ」があまりにも大量の情報を流しますし、「教育」においてもありとあらゆる規範や常識や定説などが刷り込まれてしまいますから、いったいどれが自分の「本当の好み」であるのかが非常に解りにくい状況にあるということですね。

 ※しかも、人類の歴史が長くなるにつれて、当然刷り込まれる「規範」や「定説」は
  どんどん増えていきます。 
  これは、たぶん間違いないことですが、人間は将来「人類の歴史」を学びきれなく
  なる時が来ます。
  そして、そうなったときには、「選択的な学習」をせざるを得なくなるわけです。
  でも、そうなると、「選択された規範」だけが流通して「選択されなかった規範」は
  無かったものにされてしまいますし、また、「規範」や「定説」でありながら、人によ
  って「選択」した「規範」や「定説」の種類が違えば、まったく違う「規範」や「定説」
  を持つことに成ってしまうわけです。
  そうなったら、それを「規範」や「定説」と呼ぶことも出来なく成ってしまうかも知れま
  せんね。


ハッキリ言えば、現在「自分の本当の好み」を掴み切れている人なんて居ないと思いますよ。
現在においては、それは「悟り」に近いようなほど不可能なことだと思いますね。

もちろん、そういう外界からの情報に振り回された上での「自分の好み」を『それこそが自分の好みなのだ!』ということは出来ますが、それは「強がり」のようなもので、「純粋な好み」とはかなりかけ離れてしまっていますから、そんなことを無理して言い続けてもあまり意味がありませんね。

そうなると、例え「自分の好み」と言えども、疑ってかかる必要が出てくるわけです。
『自分の好みに正直に』と言えば、聞こえはいいですが、実を言うと、それは「好み=純粋」という、「昔は成り立っていたけど今はもう成り立たなくなってしまっている説」に依存しているだけなんだと思うわけです。

まぁ、ある程度まで冷静に「自分の好み」を分析できる人の場合は、大きな問題に直面することは少ないでしょうが、それでも、やはり、現在の「好み」は「純粋な好み」とは言えないものに成っていると思っていた方がいいような気がします。


いずれにしても、そんな「根拠のない好み」を「芸術の判断基準」にしてしまっているわけですから、「マトモな芸術」なんて出てくるはずがありません。

でも、みんなが「情報に振り回された好み」で判断しますから、『これ、スキです』と言わされてしまうわけです。
そして、「芸術」においては、それが「スタンダード」であり「逆らえない定説」になってしまっていますし、みんながそれに依存してしまっていますから、誰も止めませんし、疑問を呈する人すらいないわけです。
(そういう人は「芸術の世界」には居続けられなくなるわけですね)


そんなことで、みんな『何が本当に好きなのか』がわからなくなっているわけです。
それで、とんでもなく「過激な芸術」から、あくまで「古典的な芸術」まで、その時々で、『何が見たいのか』わからないままに見せられているわけですね。

そういう時に、『自分の感性に従って選んでいます』という言い回しが使われることは多いわけですが、その「自分の感性」自体が「情報の集積」に他ならないわけです。
そして、その「情報」が膨大過ぎて選択も判断もできないほどの「圧倒的な量」で迫ってくるわけです。

だから、やはり、「好み」に頼る時代は終わっていくと思います。
前の記事に書いたことと併せて、やっぱり「芸術を好みで判断する時代」は終わっていくんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。


関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR