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「芸術年金制度」:「孤独(ヒキコモリ)社会」への提案



前にこのブログで【「芸術売買」と「芸術福祉」】という記事を書いたことがあるんですけど、その話はかなり極端な内容だったので、おそらく読んだ人は誰一人共感しなかったと思います。
(まぁ、読んだ人自体がほとんどいなかった可能性もありますけど)

 ※前に書いた【「芸術売買」と「芸術福祉」】という記事は、
  『「芸術」を売り買いするのは止めて、「芸術者」は「福
  祉」の対象にすればいいんだ』というようなムチャな話だ
  ったので誰にも相手にしてもらえませんでした。

  まっ、他の記事も全部相手にされてませんけど。


それで、今度はもう少し現実的なことを考えてみようと思ったわけです。
現実的で実用的な「芸術福祉」ですね。
(まっ、敢えて言うほど現実的でもありませんけど)


そして、いろいろ考えた結果「芸術年金制度」というモノがあってもいいんじゃないだろうか?ということに行き着いたわけです。

これのなにが実用的かと言うと、現在の社会が抱えている問題の中でもかなり重要度や優先度が高い問題だと思われる「孤独社会」や「ヒキコモリ社会」の問題に対する一つの打開策に、この「芸術年金制度」が成り得ると思うわけです。
(まっ、たいして実用的でもないですけど)

要するに、『「孤独」でも「ヒキコモリ」でも「芸術」なんかやってたりすると気がまぎれたりするかもね?』というやや安直な考えではあるわけですが、それでも、何の策もないよりは少しイイんじゃないかと思うわけです。

「孤独」や「ヒキコモリ」の問題は、現在の社会が抱えている問題の中でも、最も重要で、さらには最優先に対処するべき問題だと思うわけです。
(「認知症対策」と双璧だと思いますね)

 ※高齢者の「認知症対策」を「介護の問題」と考えている限り、
  いつまでたっても対処できないと思います。
  「認知症」は「脳」の疾患ということに成っていますが、実際
  は「認知症」は「社会」によって誘発されている「社会病」で
  もあると思います。
  「脳」に委縮などの現象が現れるのは、「社会」から疎外され
  た高齢者が脳機能を凍結せざるを得なくなって、「脳」が不活
  性化してしまうことが原因だと思うわけです。
  人間の体は、どの器官であっても不活性化した状態を続ければ
  必ずその器官が急激に衰える仕組みに成っているわけで、それ
  は「脳」でも同じだと思うわけですね。
  つまり、「社会による老人の疎外」が先で、「脳萎縮」は結果
  的に起きて来る現象だということです。
  だから、必要なのは「病人」に対する「介護」ではなくて「病
  人」を生み出さないような「社会」の方向性なんじゃないかと
  思うわけですね。

「孤独」も「ヒキコモリ」も「認知症」もすべてに共通なのは「社会」が生み出しているということです。
これらを「病気」や「パーソナリティ(性格)の問題」と考えている限り全く改善する気がしませんね。

真面目すぎるから友達がいなくて「孤独」に成るんだとか、暗い性格だから結果的に「ヒキコモリ」に成るんだとか、言っている限りは、これらの問題が少しでも改善するようなことは無いと思いますよ。

まぁ、突然変異が起きて人間が非常に「無感情なイキモノ」に変容するようなことでもあればいいのかも知れませんけどね。
(あぁ、良くないか?)


要するに、「社会」が「競争原理」や「効率主義」と言った、既に必要性が薄くなった「旧・原理&前時代・主義」を捨てて、「人間性」を基盤に置いた方向を向いて行くしかないんじゃないかと思うわけですね。

そうなると、やっぱり「芸術」なんじゃないかなと。
そう言うことですね。
(まっ、効果の方は「チョボチョボ」かと思いますが)

「現在の芸術」っていうのは「その人そのもの」だと思うんですねぇ。
その「最も自分であるモノ」を現すのが「現在の芸術」なんじゃないかと思いますから、そういう「芸術」が心の中にあれば、たとえ、一人でも「孤独」という感覚はうすくなるだろうし、「ヒキコモリ」の閉そく感も少しは和らぐんじゃないだろうかと思うわけですね。

そしてさらには、そういった「微かな解放感」が生みさせれば、その空気感が少しづつ「社会」に広がって言って、うまくすれば「孤独社会」や「ヒキコモリ現象」から抜け出すことも出来るんじゃないだろうか?と思っているわけです。


まぁ、現実に効果があるかどうかはともかく、その「芸術年金制度」とは、いったいどのようなモノかということですね。

まず初めに、「現在の芸術」が非常に難易度が高い状態に成ってしまっているということがあるわけです。
つまり、精神面でも技術面でも非常に厳しいものが要求される分野に成っているということですね。
本来は、この「芸術の在り方」には問題があって、「芸術」はもっと一般的で平易なモノであっていいと思いますが、実際問題としては、そうなっていないということですね。

そして、そんなものが『若いうちに出来るのか?』という疑問があるわけです。
ところが、そのこととは全く裏腹に、「創作者」はごく若いうちにある程度の実績を残していかないと専門的な立場で「芸術」に関わり続けるのが難しいという仕組みが出来上がっていて、いわゆる「遅咲き」のタイプはかなり地道な活動をじり貧な状態で続けるしかないということがあるわけです。

でも、ある意味で、美大生に『「スバラシイ絵」を描け!』というのは現状においては非常に酷なことなわけで、かなり無理がると思うわけです。

もちろん、美大生でも「上手い子」はたくさん居ますし「いい絵を描く子」もいると思います。
でも、「自分の絵を描ける子」と成ると、そう沢山は居ません。
やっぱり「人生経験」が少ないわけで、こればっかりはすべての人に平等に与えられるものですから、二十歳くらいの人には出来なくて当然ですし、それは「能力」ではどうすることも出来ないモノなんだと思います。
そして、その部分こそが「現在の芸術」の部分なわけです。
だから、出来ないに決まってます。

 ※ちなみに、ここで言うところの「人生経験」とは「波乱万丈」
  とか「千載一遇」とかのことではありません。
  どのような経験であっても、それは蓄積されていくと思います。
  そして、いかに普通のことでも、それが蓄積された分だけその
  人の中の「自分」が作られると思うわけです。
  だからこそ、すべての人に平等なわけで、当然若いうちは経験
  値が低くなるということに成るわけですね。
  逆に、年を取れば一律に経験値は上がって行きますが、それを
  蓄積して来たかどうかは、その人次第ですし、蓄積された経験
  を外に表せるかどうかは、さらに、また別の話だと思います。


でも、若いうちから実績を残さないと「芸術の世界」に居続けることは出来ませんから、「上手い子」や「いい絵を描く子」ばかりが大量生産されて、しかも、そのほとんどが「使い捨て」にされていってしまうわけです。

その中で生き残るのは、大方「要領のいい子」に違いありません。
つまり、「もっとも芸術の中心から遠い人」ですね。
おかしなことだと思います。

『そこで!』
「芸術年金制度」なんてモノがあったらいいんじゃないかなと。

つまり、若いうちには、とても「芸術」を達成するなんて無理だから、取り敢えず若いうちはほかの仕事などをしてある程度のお金を稼いで、その中から少しばかりの「芸術年金」をかけて行くわけです。
そして、その「年金」をある程度の年齢に成った時に、満を持して「芸術」のために使うことが出来るという実にスバラシイ制度がこの「芸術年金制度」であるわけです。

『お前、自分に都合のいい制度を妄想してるだけだろ!』

「ちっちっ違いますよ」

『じゃ、なんでどもるんだよ?』

「・・・・・・エヘッ?!」

さて、「芸術年金制度」と「一般的な年金制度」の決定的なチガイは、「年金」を「かける人」は多くて「もらう人」が少ないということです。
「芸術」ってけっこう大変だし、さらにそれを年をとってもやり続けるとなるともっと大変ですから、そんなにたくさん「年取ってから芸術をやる人」っていないんじゃないかと思います。
それでも、人生の中で自由に他のことを気にしないで「芸術」に没頭する時間を持つことが出来るということは、きっと幸せなことだと思いますし、その時間を持ったということがのちのちまでもその人の心の中で、何らかの支えに成るということはけっこう有ることだと思うわけです。
(これは、かなり多くの人に当てはまることなんじゃないですか?)

今は、それとは逆に「芸術」をやりたくて美大に入ったはいいけど、なかなか思うような作品が作れずに「タイム・アウト&ゲーム・オーバー」になってしまう人がすごく多いと思います。
その後も地道な活動を続けていくことは可能かもしれませんが、常に「時間」と「カネ」の制約を受けますから、、なかなか没頭できないわけで、けっきょく「家が裕福な人」や前述の「要領のイイ人」や「人の世話になっていても全く気にしないで没頭できる人」なんかが生き残るわけです。
それらは、「芸術の中心から離れている人」だと思います。
(私自身も妻の世話になってますから、その分は「芸術の中心」から離れてしまっていると思います)

だいたい、「孤独」や「ヒキコモリ」に成る人って、「芸術」に近い人じゃないかと思うわけです。
もちろん、「美術」に限ったことではなくて、「文学」でも「音楽」でも「演劇」でもなんでもいいと思いますよ。

そう考えると、面白いと思いますよぉ。
50ぐらいに成ってから、まったくの素人だった人が「演劇」を始めたらどうなるんだろうなって言うのって、ほんとにおもしろそうだと思ってしまいますねぇ。
もしかしたら、「ものすごくセリフ棒読みのおじさん」が『笠智衆二世』に成るかも知れないし、『田中絹代二世』だって現れるかもしれない。
(別に、セリフ棒読み限定ではないですけど)

そんな所からしか、「芸術」は変わっていかないんじゃないですか?
『変わる必要なんてないだろ!』っていう方は『どうぞ、どうぞ、そのままおやんなさいまし』

そんなわけで、「芸術年金制度」のお話でした。
詳しい制度の話は書けませんでしたが、「そういう方向」ですね。

そんな風に思ったわけなのです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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