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『宇宙人は広い宇宙のどこかには必ず居る』というのは「確率」という思い込みに過ぎない?



宇宙にはものすごくたくさんの天体があって、その中には必ず地球と同じような環境の星もあるはずで、そういう星の数だってものすごく多いはずだから「確率的」に言って、宇宙のどこかに「知的生命体」が居るのはほぼ間違いない!!
という話をよく聞くわけですね。

それで、前は『ふむふむ、なるほど、それじゃあ何時かきっと「宇宙人」に会えるんだろうね(30万年くらい待てば)』と思っていたわけです。
でも、最近に成って、なんとなく「宇宙人」にはいつまで(30万年以上)待っても会えないような気がしてきたので、『なぜなんだろう?「確率的」に言って間違いないハズなのにオカシイなぁ』と思って、考えてみたわけです(30分ぐらいかけて)。


それで、『これはきっと「確率的」が、あやしいんじゃないだろうか?』という結論に達したわけなのです。
つまり、こういう話の場合には、「確率」なんてものはほとんど役に立たなくて、ただの「思い込み」に過ぎないんじゃないだろうか?と思ったわけですね。


まず、「地球と同じ環境」とアバウトに言ってしまっていますけど、ただ単に『酸素が豊富にある』とか、『ナントナク生物が生きられそうな温度』とか、『光などのエネルギーが供給されている』とか、いま人間が考えて思いついたような条件が満たされれば「生命」が発生するとは限らないような気がするわけです。
実際は、もっと遥かに細かい所まで「地球と同じ環境」であって、はじめて「地球と同じ条件」と言えるわけで、ほんのわずかな、環境のチガイでも「地球と同じような形での生命の発生」はあり得ないんじゃないかと思います。

ところが、前述の『確率的に言って間違いない』の中の「確率」とは「地球と同じような環境の星が存在する確率」なわけで、その「地球と同じ環境」が厳密でないと「まったく成り立たなくなってしまう確率」なわけです。

そうなると、かなり厳密なところまで、というか、ほとんど寸分たがわぬところまで「地球と同じ環境」を持った天体が存在する必要が出てくるわけで、はじめの話とはかなり違ってくるわけです。
というか、どんなものでも「寸分たがわぬモノ」というのは、実の所は存在しないと思うわけです。
だから、「ほとんど寸分たがわぬモノ」の「存在する確率」は限りなく「0」に近いわけで、それを天体の数が多いという程度のことでひっくり返してしまうのは、やや無理があると思いますね。

それでも、その「確率」が完全な「0」とは言えないわけですが、それは非常に長い時間的な幅を持って考えた場合の話であって、少なくとも如何なる生命体の「存在サイクル」をも超えるような長い時間の幅を持って考えた場合に限って、その「確率論」が有効に成るというような気の遠くなる話なわけです。

ところが、そうなると、もしも宇宙に「地球と異なる起源を持った文明」が存在することがあるとしても、それは「地球の文明」が滅びた後のことであって、その二つの「文明」が出会うということはまずないだろうということに成るわけです。

それから、「時間的な幅」だけでなく「空間的な距離」についても同じようなことが言えて、「地球外知的生命体存在説」や「宇宙人がきっと会いに来る説」の多くが、無意識のうちに、「空飛ぶ円盤」などのような「次元を超越した移動手段」の存在を前提にしていると思うんですね。

それは、つまり、宇宙空間における気が遠くなるほどの「空間的な距離」を、無意識のうちに極端に縮めてしまっているわけで、その「次元を超越した移動手段」が無ければ、まったく成り立たない話に成るわけです。

でも、実際には、そういう「超次元的な移動」が可能かどうかは、今のところまったくわからないわけですし、もし可能であったとしても、それが開発されて実用されるまでに恐ろしく時間がかかるのは間違いないことなわけですから、その間にもまた「その文明が滅んでしまう確率」は高くなってしまうわけなのです。

こういった諸々のことを考え併せますと、『宇宙人は広い宇宙のどこかには必ず居るはず』という「確率」は『ほぼ間違いない』どころか、実は『ほぼ無い』に近いような気もしてくるわけですよね。


そして、さらに決定的なこともあって、「地球外知的生命体」と言っていますが、その「知性」や「生命」とはどんなものを指しているのかと言えば、「地球上の知性」であり「地球上の生命」を指しているわけです。

やはりここでも、「ほぼ寸分たがわぬモノ」を求めてしまっているわけですねぇ。
でも、いくら「広い宇宙」とは言え、「寸分たがわぬもの」というのは存在しませんから、「地球の知性」や「地球の生命」と「ほぼ寸分たがわぬ知性や生命」は「地球外」には、そうヤスヤスとは存在しないわけです。

というか、「ほんの僅かに地球と違う知性」や「ほんの僅かに地球と違う生命」を「人間」が「知性」や「生命」として認識できないわけです。
だから、そういうモノと出会ったとしても、まったく気づくことなくやり過ごしてしまうんじゃないでしょうか?
(地球上のすべての生命は同一起源のモノですから「一つの生命」ということだと思います。だから認識できるんだと思います。)

つまり、もしも、「宇宙人」と出会ったとしても、人間は、その「宇宙人」を『これは「知性」とは言えないだろう』とか『これは「生命体」ではないだろう』と判断してしまうんじゃないかと思いますね。
要するに、出会っても気づかない可能性が非常に高いわけです。

でも、そう言うことになると、「ほぼ寸分たがわぬ知性や生命」は存在する確率が低いし、存在しても出会えません。
その一方で、「一寸でもチガウ知性や生命」は人間の方が認識できないわけです。
もう、その「出会いの確率」は「0」に限りなく近いと言わざるを得なくなるということですね。

以上のことから、『宇宙人は広い宇宙のどこかには必ず居るはず』というのは「確率」という思い込みに過ぎないんじゃないの?

そんな風に思いました。

 ※ついでに言うと、その時点で「厳然と存在していないモノ」について、
  「確率」のような一見すると説得力のある根拠で「それが存在するの
  はほぼ間違いない』と言っていることは、ほとんどが何らかの思い込
  みであることが多いと思いますよ。
  (たとえば、「死後の世界」なんかも、やっぱりアヤシイですよね。
  っていうか、生きているうちに理解できるなら、それは「死後の世
  界」とは言えないものだと思いますよ。やはり不思議は不思議な
  ままの方がいいような気がしますね)
  やっぱり、そこまで確かに存在するはずのモノだったら、既に厳とし
  て存在していますよね。
  これは『そんなものあるわけないよ!』という固定観念とは違って、
  『盲信を回避する』ということだと思いますよ。

  だって、『あるわけないよ!』も『あるに違いない!』も、どっちも
  固定観念でもあり盲信でもあるわけですから。
  


関連記事
106:
※105
青梗菜さん、こんばんわ。
そして、補足のコメントありがとうございます。

いや、それにしても失礼いたしました。

なにせ、このブログはご批判いただくことが多くて、「批判され癖」がついてしまっていまして、どうしても、肯定と否定の判断が付きにくいコメントがあると『きっと、ご批判のコメントだろうな』と思ってしまうわけです。

※やっぱり「芸術の世界で生きている人」にとって、あまりうれしくないことを書いていることが多いですからね。

そんなわけで、早合点をお許しいただけると嬉しいです。

実を言えば、前の返信をした後になって、前向きにとれば、そんな風にも取れるのかな?とも思っていたんですが、あとから、いきなり自分に都合よく解釈したコメントを返すのも気が引けてしまって、コメントできませんでした。

まぁ、よく考えれば、前に青梗菜さんのブログで拝見した記事との兼ね合いから、そんなコメントだというのが、当然といえば当然のような気もしてきましたよ。

※私は、ほとんど人のブログは読まないんですが、青梗菜さんのブログはよく見せてもらっていますよ。

まっ、こんな「サル頭」の私ですが、またよかったら、コメント入れてくださいね。

では、また。



105:
>ご批判いただいたということだけは、わかるんですけど、
いやいや、ふたつさん、
まったく同意してます。

>「地球外知的生命体」と言っていますが、その「知性」や「生命」とはどんなものを指しているのかと言えば、「地球上の知性」であり「地球上の生命」を指しているわけです。
人の言葉を、宇宙に当てはめに行くと、何が知的で、何が生命なのかは、僕たちの知性で、僕たちの生命になる。
僕たちが語れば、そこは宇宙ではなくて、地上みたいなものです。

>生きているうちに理解できるなら、それは「死後の世界」とは言えないものだと思いますよ。
生きている人の言葉を、生まれてから死ぬまでの生の外側に、適用しちゃだめなんです。
僕たちが語れば、それは死後ではなくて、生きているみたいなものです。

>例えば、私が言っていることの中の「この部分」がよくないとか、そういう風に言ってもらえると、私にもわかるかなと思うんですが、いかがでしょうか?
いやいや、ふたつさん、
まったく同意してますから!
104:
※103
青梗菜さん、こんばんわ。
コメント、ありがとうございます。

ご批判いただいたということだけは、わかるんですけど、どうも意味がよくわかりませんので、もし、良ければ、もう少し詳しくお願いいたします。

例えば、私が言っていることの中の「この部分」がよくないとか、そういう風に言ってもらえると、私にもわかるかなと思うんですが、いかがでしょうか?

まぁ、気が向いたらでいいですよ。

では、また。
103:
人の言葉を、宇宙に当てはめに行くのはよくないですよね。
僕たちが語れば、そこは宇宙ではなくて、地上みたいなものです。
僕たちの在り方を、生まれてから死ぬまでの生の外側に、適用しちゃだめなんです。
僕たちが語れば、それは生きているみたいなものです。

僕たちが理解できる生き方で、
僕たちが生きているような生き方で生きていて、
少しも死んでいませんから。

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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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