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「芸術作品」は人が乗り越えていくための「布石」に成る



「芸術作品の存在意義」はいろいろあるでしょうが、その中の一つとして「布石」ということがあると思うわけです。
つまり、「人が乗り越えていくためのモノ」ですね。
昔の一里塚のような「目安」と言ってもいいのかも知れません。

有名な人の作品であれば、それは「教養」としても「知識」としても機能するのかも知れませんし、また、有名無名に関わらず「スバラシイ絵」であれば、それは人の心を喜ばせることが出来るんでしょう。

でも、有名無名とも無関係で、スバラシさとも無関係なところにも「芸術作品」の意義がある場合はあると思うわけです。

たとえば、自分の子供がはじめて描いた絵は両親にとって特別な意味があるでしょうし、それと同じように、自分に身近な人の創作した「芸術作品」には「その人にとっての特別な意味」が発生するんだと思うわけです。

これは、何も身近な人に限ったことではなくて、創作者本人にも言えることだと思います。
たとえば、自分の作品の中で『今までの中で一番気に入っているなぁ』という作品というのは、その創作者にとっては「乗り越えていくべきもの」であるんだと思います。
まぁ、スポーツで言えば「自己ベスト記録」ですね。

それから、ある創作者の遺作と言うのは近親者にとっては「思い出」でもあるわけですが、実は、それはその創作者からの『これを乗り越えて行ってくれ!』というメッセージでもあると思うわけです。
つまり、作者の「自己ベスト」を近親者が「更新」するわけですね。
そのことによって創作者が届かなかったところに、その作品の意味が届くことに成るわけで、それこそが亡き作者の望みなんじゃないのかなと思うわけです。

ということで、「芸術作品」が誰かの「布石」に成ることは、作者の喜びでもあるのかなと。


そんな風に思ったわけなのです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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