FC2ブログ

いま「芸術」が、「最もステキな権威に迎合しない方法」を示す時



「権威」に対して、媚びへつらったり、追従しようとしたり、そこから利益を得ようとしたりすることは、なかなかミットモナイことなんじゃないかと思うわけですが、最近の世の中では、そういう「権威に迎合すること」を、必ずしも「恥」だと感じていない人がけっこう居るような気がするわけです。

30~40年前であれば、「権威に迎合する人」は、たとえば、ドラマの中では、常に悪役にも成れないような「一番ミットモナイ役どころ」だったと思いますし、たとえば、職場の人間関係で言えば、「いやな上司のそのまたテシタ」というタイプの、これまた情けない人の典型という扱いだったと思うわけです。
だから、当然、誰でもそういう人間にはなりたくないと思っていたでしょうし、実際に、そういう人間に成るような人は、あくまで「ややクズな人」という扱いを受けていたと思いますし、また本人もそういう「ややクズ」な自分をある程度は自覚していて、世の中に対して、ちょっとセコセコした態度で生きていたような気がするわけです。

と・こ・ろ・が!
現在は、そんな「クズ」で「テシタ」で「セコセコ」な「権威に迎合する人」が、昔に比べて、やや堂々としてきているような気がするわけですねぇ。
つまり、なんと言うか、市民権を得てきているような気がするんですね。
(いったい、いつの間に?)

そう言うことで、どうしてそんなことに成っちゃったんだろうか?と考えてみたわけです。

私は、こういう所にも、「芸術の影響」があるような気がするわけですねぇ。

現在、「芸術の世界」は完全に「経済」に取り込まれてしまっていて、「芸術の市場」を抜きにプロフェッショナルな(専門的な)意味での「芸術」を考えることが出来なくなってしまっているわけです。

つまり、高い「芸術性」があったとしても、「市場」に受け入れられるような作品を創らないと、、プロフェッショナルとしての評価は得られないわけで、『キミ、なかなかいいモノ創ってるよね』で終わってしまうわけなのです。
(『その高い芸術性とは?』というのは、また別の話ということで)

そうなると、どうしたって、「創作者」は「市場」に対して媚びるように成るわけですね。
そして、そうなると、当然、「市場」が「権威」を持つように成るわけです。
そして、そうなってしまった後は、その「権威」が「絶対的」に成り、誰にも逆らえないモノに成って、そこからは、もう、その「権威」に対して、『迎合するか?迎合しないか?』という二者択一しかなくなって、当然の成り行きとして、「迎合した側」だけが生き残り、「迎合しなかった側」は切り捨てられていくことに成るわけです。
(まぁ、要するに、「経済」と「権威」がくっついてしまうと「絶対的な権威」に成ってしまうということだと思います)

と・こ・ろ・が!
「芸術」は、やっぱり、センスがいいわけです。
そして、「芸術」は「権威」に迎合したとしても、まだ、やっぱり、センスがいいわけです。
(そういうのはセンスとは言わないんだ!というのは、また別の話ということで)

ということは、「芸術」が「権威」に対して迎合してしまうと言うことは、「芸術」が「社会全体」に対して、最もスマートでセンスがいい「権威に対する迎合の仕方」を、提示して見せてしまうことに成るということです。

そう言うことによって、現在「権威に迎合する人」が、やや堂々としてきていて、『なにが悪いっての?』という開き直った感じを漂わせてきているような気がするのは私だけなんでしょうか?
(『あなただけです』「あぁ、ハイハイ」)

少なくとも、現在「芸術の世界」の最も第一線で活躍している人も含めて、「芸術の世界」にそれなりの位置を持っている人で、「市場」に媚びることをまったくしないで活動し続けてきた人は、まぁ、居ないんじゃないかと思うわけです。

というより、積極的に「市場の動向」を読んで活動を展開できた人こそが、現在「芸術の第一線」で活動している人であると言っても過言ではないと思いますね。

さらに言えば、その「読み」こそが「芸術の文脈」と言われて、今、最先端の「芸術の位置」を測るためのツールであると言われていたりもするわけです。

つまり、「権威に迎合すること自体」が「芸術の最先端」を規定することに成ってしまっていて、「芸術の世界」では「権威に迎合すること」が堂々と市民権を得てしまったと言ってもいいほどになっているわけです。

そう言うことが、「社会全体」に普及していった結果、「権威に迎合する人たち」が、なんとなく堂々としてきていて、あの「クズ」で「テシタ」で「セコセコ」な感じじゃなくなってきているんじゃないかと思うわけですねぇ。

その辺が、チョットあまりにも目に余るというか、どうしようもないというか、お下劣というか、とにかく、ただただ悲しいなと。
そんな風に思うわけですが、そういう方々に、『それはちょっとやめましょうよ、ネェ、あなた』と言ってみたところで、所詮、『嫌です!以上。』ってことでしょうから、やっぱり、そこは「芸術」に戻って、そこの所を「最もステキな権威に迎合しない方法」を提示していかないとダメなんじゃないのかなと。

そんな風に思うわけです。 

自分だって、そんなことを偉そうに言えるほどのことなんてまったく無いですけど、でも、そういう方向で四苦八苦しながらやって行こうとするってことぐらいは、誰にでも出来るんじゃないですか?


そんな風に思いますよ。

 ※現在、「市場」の持つ「権威」に迎合しないで「創作」している人が
  いるとしたら、それは、「いま、世間に存在している芸術の世界」と
  は別の「自前の芸術の世界」を持っている人だけだと思いますよ。
  そういう「自分の中の芸術の世界」を持っている人はいるかも知れま
  せんが、そういう人は、その世界の中でしか活動できないわけですか
  ら、人目に触れる機会が非常に少なくなってしまっているというわけ
  ですね。



関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR