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「自己肯定」と「自己正当化」のチガイ



私は、現在の人間の行為の中で、最もタチの悪い行為が「自己正当化」なんじゃないかと思っているわけです。

『悪いことをしてしまう』
または、『怠惰な状態に陥ってしまう』
または、『嫉妬心や競争心にかられてしまう』
または、『利己的に成って横暴な振る舞いをしてしまう』

ここまでなら、まぁ仕方ないと思えます。
まぁ、どれも似たようなものだし、人間にはこれらのことを完全に排除することは不可能だと思いますから。
(自分もやるし)

でも、これらの自分の行いを「正当化」する段階に成ると、ちょとマズイような気がするわけですねぇ。
しかし、ほとんどの人が、これをやってしまうわけです。
まぁ、だいたいの場合は、ただ単に意地になってしまうだけなんでしょうね。
(自分もやるし)

人間が、悪いことや間違ったことをした場合、たいてい自分でも、それがよくないのはわかっているわけですが(というか、「自分が悪いと思っていることをすること」こそが悪いことなんだと思いますので)、でも、なかなか、それを認められないわけですねぇ。
とくに他人から指摘されたりすると。
(自分もそうだし)

と、ここまでが、ギリギリなような気がするわけです。
(いったいナニの?)

でも、その悪いことをしたということを認められない自分をさらに正当化して、それがあたかも「イイこと」であるかのように装ってしまうと、そこからは、もう、その人の人生の中に、なに一つ「本当のイイこと」は無くなってしまうと思うわけです。

こういうのを「生き地獄」と言うような気がします。

つまり、「自分が悪いと思っていることをしてしまうこと」こそが「悪いこと」なんだとすれば、その「悪いこと」を「イイこと」であるとしてしまうということは、「イイこと」をするには「自分自身が悪いと思っていること」をやらなければならなく成るわけです。

ということは、常に、自分が「悪いことだと思っていること」をやりつづけなければならなくなるということです。
そして、常に、その「自分が悪いことだと思っていること」を「イイこと」であると言い張り続けて、「自分がイイことだと思っていること」を「悪いこと」だと言い続けなければならなくなってしまうわけなのです。

そして、とうとう、最後には、その「イイこと」をしている人たちを非難するように成り、攻撃するように成っていくというわけですね。
つまり、非常に激しく攻撃している相手が、「自分が、イイことだと思っていることをしている人」であるという、非常に矛盾していて、無理がある状態に陥ってしまって、しかも、自分で自分の首を絞めるようなことに成ってしまうわけですねぇ。
(こういうのが、すべての「~ハラスメント」が起きる心理なんじゃないかと思います)

まさに、「生き地獄」です。
なんとなく、止めといた方がいいように思いますね。こういうの。
(なんとなくじゃないか?) 

ところが、こんなにも無理がある「自己正当化」が無くなりません。
そこに「自己肯定」と言うキーワードが関係していると思うわけです。

「自己肯定」は、言い換えれば「ポジティブ」ですし、「前向き」でもありますから、、「ポジティブ全盛」の今の世の中においては、ほぼ全面的に支持されているわけで、その「ポジティブ」や「前向き」を否定しようもんなら、まぁ「袋叩き」ですね。

そんな状態ですから、今の世の中では「自己肯定的」なものは、ほとんど否定されることがありません。
ところが、その「自己肯定」と「自己正当化」が、あまり区別されていなかったりするわけですねぇ。
ということは、そういう「自己肯定」と「自己正当化」が区別されていない状況では、「自己正当化」も、また、ほとんど否定されることがないということです。

そして現在、あまりにも「ポジティブ」や「前向き」が全面的に支持されていて、その反対に「ネガティブ」や「批判」などのような現状否定の要素を含んだものは、極端に排除されてしまっているために、「肯定」と「否定」のバランスが明らかに崩れていて、その結果、「自己正当化」までもが、ほとんど否定されなくなってしまっているように思うわけです。

でも、残念ながら、「自己肯定」と「自己正当化」を客観的に区別することができないわけです。

「自己肯定」は、自分自身や自分の行動を肯定的に考えることだと思いますが、それはあくまで「肯定的」ということであって、何もかも肯定するということでもないような気がします。
まして、「自分の悪い行い」まで肯定することを指して「自己肯定」と言っているわけではないと思いますので、そこのところが「自己正当化」とのチガイなわけです。

ところが、その「悪い」と「悪くない」の間に、なかなか線が引きにくいわけです。
それで、けっきょく、「自分が悪いと思っていることをやってしまうこと」が「悪い行い」なんじゃないか?ということにするくらいしか規準がないわけですが、それはあくまで本人が悪いと思っていることを規準にするということですから、他人が客観的に判断するということができなくなってしまうわけなのです。

 ※客観的な基準としては「法律」がありますが、「法律」を基準にすると
  いうことは、「犯罪ではない悪」は、すべて「OK」ということになってしま
  います。
  「法律を基準にした悪」は「公的な意味での悪」ですね。
  つまり、公に向かって『これは悪である』と言っても許されるのは「法律
  を基準にした悪」すなわち「犯罪」だけであるということに過ぎません。
  
  その考え方だと、「法の網を潜り抜けた悪」が漏れてしまうので、ここで
  の話には適していないと思いました。
 
まぁ、要するに、本人にしか判断ができないということになるわけですね。
でも、その本人が「自己正当化」しているわけですから、そんなこと認めるわけがありません。

こういう構造で、いろいろな「ハラスメント」などの「傍若無人」が起きているんだと思います。

やはり、もう少し「批判的な視点」を見直して復活させないと、いつまでたっても同じ様なことが繰り返されて、いつまでたっても「傍若無人」で「矛盾だらけ」で「どう考えてもオカシイ」という社会から抜け出せずに、誰一人トクをしない世の中が続いて行ってしまうと思いますね。

 ※こう言う「時代」についての話で、必ず『そういうのはいつの時代
  にもあったことなんだよ。キミィ』という人がいらっしゃいますが、そ
  ういう人は「ナチスの時代」にも同じことを言うんだと思いますよ。
  (自分がユダヤ人でさえなければ)
  そういう人がたくさん居たからこそ、そういう時代が成り立っていた
  わけですから。

もちろん、「自己肯定」が悪いとは言いませんし、「否定的」なばかりでも、問題はあるんでしょうが、とりあえず、今に限って言うならば、間違いなく、足りないのは「ネガティブ」だと思うんですが、どんなもんなんでしょうか?


わたくしは、そんな風に思いますね。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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