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「長い題」=詩のような題(その12)



「長い題」=詩のような題(その12)です。

最近に成って、ようやく、この「長い題」ができるペースが落ちてきて、なぜかホッとしています。
ペースが落ちてホッとするのもおかしいんですけどね。

こんな「題」の付け方をするようになって、初めて気が付いたんですけど、「題」ばっかりできるのは考えもんですね。
(絵に合わせて「題」を作るとは限らず、独立した「絵の題」として作っています)
なんか、自分がすごくバカなんじゃないか?っていう気に成ってきます。

でも、めげずに「長い題」=詩のような題(その12)です。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『うつくしくは ないが かいぶつでは ない』

こわそうにも みえるが 
おそろしいと いうほどでは ない

どこか さみしそうに しているのに
ないている わけでは なく
ただ そこに たっている

つめたくて するどい はもののような ものなのか
やわらかくて あたたかい もうふのような ものなのか
その しょうたいは わからない

そういうものが いつも ひとりで たっている

だれの なかにも ひとりづつ

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『もしも はなに なれたら』

たいように せを むけて はしりだそう
その ぎゃっこうの なかで 
せっかく さいた あざやかな いろを うしなって しまうとしても

もしも はなに なれたら

つきあかりに てらされよう
その あおじろい ひかりに
いま はなひらいたばかりの みずみずしさを
すいとられて しまうとしても

もしも はなに なれたら

よろこびに みちて
おどるように はしりつづけよう

こんな くらやみの かたすみに 
この はなびらの いろで すこしだけでも あかみを うつすことが できたら
きっと それは はなさくことの よろこびに ちがいない

だから もしも ぼくが はなに なれたら
そんなふうに さいてみたいと ひそかに おもっているのです

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さめのように つめたく なりたいと おもっては いないだろうか


とりのように
じゆうに そらを とびたいと おもうのと おなじく

はなのように
うつくしく さきみだれたいと おもうのと おなじく

そして くうきのように
とうめいで ありつづけたいと おもうのと おなじく

こおりのように つめたく
たった いってきの なさけをも もたない
そんな かんぜんむけつな いきものに なりたいと おもっては いないだろうか

そんなものには だれひとり なれない というのに


ひとは ちきゅうじょうで ゆいいつ 
『さめよりも れいこくな いきもの』だと いうのに

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『こんとんと めいかいの あいだには』 しんじつが あり
しんじつが ないところには うそが つくりだされる

ひとたび うそが つくりだされて しまえば
それは またたくまに せかいを おおいつくし
この よのなかは うそに そまる

しかし うそにも かならず
こんとんが あり めいかいが あり
その あいだには しんじつが ある

だから この せかいは しんじつで おおわれている ということもできる

それならば なぜ しんじつのないところが あり
そこに うそが つくりだされて しまうのか

おそらく そのとき そこには
こんとんと めいかいだけが あり 
その あいだが ないのだろう

つまりは こんとんと めいかいの あいだに
だれひとり しんじつを みつけだそうと しなくなったとき

この せかいは すくいようのない あざやかさで
うそに そめあげられて いくことになるのだ

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すべての ルールを すてさろう
あらゆる ほうそくを ぬけだして ちゅうに まいあがろう

すべての かいりつを ぬぎすてよう
あらゆる おきてから かいほうされて あしばを うしなおう


『もう それを じゆうと よぶのは やめよう』
ぼくたちは もう じゆうが なにも あたえてくれないことを まなんだのだから

じゆうが なにかを あたえてくれるのは
そのひとの なかに じゆうが ないとき

じゆうが なにかを あたえてくれるのは
そのひとの なかに ルールという あしばが あるとき

じゆうが なにかを あたえてくれるのは
そのひとの なかに かいりつという ふじゆうが あるとき

だから ぼくたちは 
『もう にどと じゆうに なにかを のぞむことは ないだろう』

すべての かいりつから ときはなたれて
すべての ほうそくから とびだして
ちゅうに まいあがった ぼくたちの こころに
じゆうが あたえうる ものなど なにも ないのだから


じゆうが あたえうるものは 
ぼくたちの こころのなかに すべて そろっていて

そんな ぼくたちの こころは
もう すでに 
くうかんと じかんを こえて ちゅうを まいつづけて いるのだから

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ひとには みな 
『いってきの いろ』が ある

その いってきを うみにながせば
たちまち うすまって きえてしまうだろう

その いってきを そらに むかって まいてしまえば
かぜに ふかれて きりのように かすんでしまうだろう

その いってきを つちに おとせば
すなぼこりに まみれて いろなど みえなくなってしまうだろう


そんな いってきの いろで せかいが うめつくされている

どの いってきも ほかの いろに そまってしまうことは ない
ほんとうは きえてしまうことも ない

ほんとうは だれの いろも みな おなじくらいに きわだって うつくしい

だから その いってきの しずくを
けっして つぶしては ならない
つぶしてしまったら ほんとうに きえてしまうから

だから その いってきを けっして つぶしては ならない

いかなる りゆうが あっても






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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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