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「デジタル画面の限界」:ネット上での「芸術鑑賞」は、これ以上普及しない!(かな?)



今の時代、なんでもかんでもインターネットということに成っているわけで、「芸術鑑賞」もネットの中で十分という人もかなり増えてきたんじゃないでしょうか?

それに、『やっぱり「芸術鑑賞」は生で見ないと』と思っている人でも、毎日美術館に行くわけではないし、どういう展示を見に行くかはネット検索で調べてからというのはごく普通の考えだと思います。

要するに、「芸術の価値」の多くの部分が、まず初めの段階で「パソコンやスマホの画面」で判断されてしまうわけですね。


現在の状況だけを見ていると、とてもこの流れが変わることはないように思えてしまうわけですが、本当に、この「ネット鑑賞」はこのままつづいて行くんでしょうか?
「ネット上の芸術鑑賞」は、定着して、この先さらに発展していくんでしょうか?

『そうでもないんじゃないのかな?』という風に、私は思うわけです。

例えば、音楽でいうと「CD」が現れてしばらくしたころ、「CD」はアナログ盤よりも音がいいということになっていましたが、現在はアナログ盤の音が見直されてきているみたいで、新譜の音源が「アナログ盤」と「CD盤」で同時に出されるというようなことも出てきているようです。
「CD」と「CDプレーヤー」が完全に普及して、ごく一部のオーディオ・マニアの人を除いて、ほとんどの人がレコード・プレーヤーを処分してしまった頃には、またアナログ盤の新譜が発売されるなんてことはもうないだろうと思われていたと思いますけど、実際にそういったことが起きてきているわけですね。
しかも、プレーヤーを持っている人がほとんどいないという、圧倒的に不利な状況の中で、そういうことが起きているわけです。
(まぁ、今のところマニア向けではありますが)

そう考えると、「美術鑑賞」においては、むしろ、まだまだ「ネット鑑賞」が圧倒的に優勢というほどではないと思いますし、今後もそういう流れが続いていくということも確実とは言えないと思います。

それどころか、「美術」においては、『今後、もうこれ以上「ネット鑑賞」は普及しないだろう』というような気もするわけです。

少なくとも、「タブローとしての絵」や「彫刻などの立体造形」等に関しては、どう考えても「ネット鑑賞」は、最適な環境とは言えないと思うわけです。
まぁ、要するに、「ネット鑑賞」においては、芸術の「生」の部分が、ほとんど削ぎ取られてしまうわけですね。
そして、それこそが、それらの作品の中の「芸術」の部分なわけですから、当然、不十分なわけです。

  ※本当の意味で、不十分なのは「ネット環境」というよりも、「「画一化された情報に
   基づいていること」なんだと思います。
   ただ、その「画一化された情報」が、「現状のネット環境」においては、大多数であ
   るということですね。
   ただでさえ「不十分」なのに、その上さらに「デジタル」が「芸術の生の部分」を削
   ぎ取ってしまうわけですから、不十分というよりも不適切といった方がいいくらいな
   のかもしれませんよ。

確かに、「デジタル画面」でも作品の「概要」は伝わると思います。
「すばらしい作品」が「すばらしい作品」であるということくらいはわかることが多いのだと思います。
でも、それだったら、言葉で『あの作品はすばらしい作品だよ』と言われたのとほとんど同じことでしかないわけで、「その作品」に触れたことにはならないような気がします。

つまり、「美術史の教科書」を読んだのと変わらなくなってしまうわけですね。
やはり、「教科書」であっても、「ネット鑑賞」であっても、それらはあくまで前段階ですらなくて、実際の作品に触れる機会を持つことがなければ、「芸術」に触れたことにはならないんじゃないかなと思うわけです。

 ※だからと言って、海外の美術館に行って有名な作品を見なければ、
  本当の「芸術鑑賞」とは言えない、なんて言う話ではありません。
  もちろん、「そこら辺に転がっている全く無名の作品」に対して
  だって、十分に「芸術鑑賞」は成り立つと思いますし、「ネット鑑
  賞」でも、その作品にしっかりと対峙することができれば、それこ
  そが、その人にとっての「芸術鑑賞」なんだと思います。
  というか、むしろ、その方が「濃い鑑賞」であると言えなくもない
  と思います。
  ここで言っているのは、「ネット鑑賞」が、そういう「作品と鑑賞
  者が対峙するための環境」として必要に十分なほど適している
  のか?ということです。

今は、ネット上で「これっ!というモノ」を探して、『それを見に行く』という考え方が主流だと思いますが、それだと、「生で見たときにイイと思えるはずだったモノ」を切り捨ててしまうケースが、かなり出てきてしまうと思います。

つまり、「ネット鑑賞」では『なんとなくイイかな?』ということぐらいしかわからないはずなのに、そこのところを無理やり「これっ!というモノ」を見つけ出してしまうわけですから、知らず知らずのうちに、かなり強引な取捨選択になってしまっているんじゃないかと思うわけですね。

そこで、「本当にいいと思えるはずだった作品」を振り落としてしまうケースが多くなってしまうんじゃないでしょうか?
(まぁ、『もしかするといいかな?』ぐらいのものを全部見に行ければいいのかも知れませんが)

また、それとは逆に、明快で分かりやすく「ネット鑑賞向きの作品」が選択される確率が高くなるわけですが、そういう作品はネット上では非常に「イイもの」に見えたとしても、「生鑑賞」においては、『そーでもない?』ということも出てきてしまうと思います。

そうではなくて、「ネット鑑賞」においては、「いい作品」では無くてあくまで「なぜかわからないけど、気になる?というモノ」を見つけ出しておいて、それを見る機会が訪れるのをじっと待っていて、その時まで、その作品や作者のことを忘れずにしっかり頭に刻み付けておくという考え方が必要になっていくんじゃないかと思うわけです。

むしろ、「ネット鑑賞の時点で、見たい!と思うモノ」は切り捨てていく、というくらいの心構えが必要になるんじゃないでしょうか?

そういう作品が「有名作品」であるとも限りませんし、気軽に行ける場所にある美術館で常設展示されているとも限りませんから、それをしっかり記憶しておかないと、せっかくその作品を見る機会が巡ってきても、その機会を逃してしまうわけですね。


そして、そういう考え方を選択するなら、やはり、そういう考え方に沿った見方をしていかないとならなくなるわけです。


要するに、「イイもの」を探すんじゃなくて、「気になるもの」を探すということなんだと思いますね。
「イイ・ワルイ」は二の次にしてでも、とにかく「気になるもの」や「引っかかるもの」ですね。
そういうモノを、いつも探していこうとして、「ネット鑑賞」をしていくと、けっこう「本当に気に入ったもの」に出会えるようになるんじゃないのかなと。

さらには、そういう見方をすることで、「本当の自分の好み」がわかってくるということもあるような気もします。
でも、いずれにしても、「ネット鑑賞」をかなりのところまで疑っていく必要が出てくるわけですから、「ネット鑑賞」自体には本質的な価値が見いだせなくなっていくと思います。

というか「ネット上の鑑賞」は「鑑賞」ではなく「資料」として扱われていくようになると思います。
まぁ、「パンフレット」や「説明書」みたいなものでしょうね。
それらは、どれも「資料」以上の発展性はないし、だれもそれを期待しませんよね。

まぁ、そんなわけで、「パソコン鑑賞」・「ネット鑑賞」は、もうこれ以上普及しない!(かな?)と。


そんな風に思っているわけです。

 ※これは、「芸術鑑賞」に対する「鑑賞者の姿勢」とも関係した話です。
  あくまで、「鑑賞者が作品と対峙する関係」を前提にして話をしています。
  「純粋な娯楽としての鑑賞」を考えた場合は、「ネット鑑賞」でも十分な
  のかも知れません。
  
  要するに、「鑑賞者」が「自分の人生の方向性に影響を与えるような作品
  に出会うこと」を目的として鑑賞するということですね。
  そのためには「まぁまぁいいな、という作品との出会い」は切り捨てても
  仕方ないと思うことが出来るか?ということに成るわけですね。
  そういう気持ちで「芸術」を鑑賞している人は、それなりに居るんだと思
  いますが、そういう人こそが「いい作品」や「見たいと思う作品」を「切
  り捨てることが出来ない人」でもあるわけで、そういうことから「ネット
  鑑賞」に振り回されてしまう確率も高くなってしまうということだと思い
  ます。
  



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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