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「捨てられない絵」が目標



私といたしましては、「捨てられない絵」を目指していこうと思っているわけなんですねぇ。
(本当にゴミとして捨てられてしまわないように!という意味です)

『それ、ハードル低すぎだろ!』っていう感じもするんですけどね。
逆に、『いやいや、そう簡単でもないんじゃないのか?実は』という気もするわけです。


実際問題として、自分が死んだ後も、評価額などの「経済的な価値が全くない絵」を、『頼むっ!捨てないで大事に保管しといてくれ、ヨロシク!!』と言っても、だれも聞いてくれる人なんていないですよね。

そうなると、なんとかして、「捨てられない絵」を目指すという方向で行くしかなくなるわけです。
つまり、「ソン・トク抜き」に、『この絵は捨てないほうがいいんじゃないか?もしかして』と思われるような絵ということですね。

で、さらに言うと、そういう絵こそ「普遍性を持った絵」なんじゃないかとも思うわけです。

たとえば、「流行の絵」というのは、その流行が終われば「最も捨てられやすい絵」に成ってしまうと思います。
また、最初に言った「経済的な価値」についても、それがいつまで続くかはわかりませんから、ほとんどの場合「今価値がある絵」でも「いつかは価値がなくなる絵」であるわけで、そうなったときには、けっきょく「流行の絵」とほとんど同じで、やはり「捨てられる絵」に成ってしまうということです。

まぁ、よほどの名画であれば、価値が落ちるということもないんでしょうが、実を言えば、そういう絵こそが「捨てられない絵」でもあるような気もするわけです。
つまり、価値が落ちないから捨てられないのではなくて、「捨てられない絵」であるから価値が落ちないんだと思うわけですね。

そう考えていくと「捨てられない絵」というのは、『ハードル低すぎ』どころか、かなりの難題ではないかとも思えてくるわけで、自分がいなくなった後まで残るような絵を描くというのは、それなりに大変なことなんだと思います。

で、その「大変なこと」を目指してしまったもんですから、大変なわけです。

『そんなこと目指さなくてもいいんじゃないか?』って気もするんですけどね。
でも、どうしても浮かんできてしまうんですよねぇ、自分の描いた絵が捨てられる光景が。
(こういうの、ホントにリアルです。売れる見込みが薄い者にとっては)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『あぁ、もしもし、廃品回収業者さんですか?』
『えーと、絵なんですけどぉ、いくらぐらいで引き取ってもらえますぅ?』

「あー、うちは古物商じゃないんで、買取りはできないんですよ」
「でも、絵だったら普通に燃えるゴミで出せますよ。〇〇センチ以内の長さに切ってあればね」
(お住まいの地域の分別ルールに沿った長さに、お切り刻みくださいませ)

『えっ、燃えるゴミでいいんですか、つまり無料ってこと?ヤッター!』

燃えるゴミ?
つまり、邪魔?
要らないってだけじゃなくて、邪魔ってことなの?
(しかも、タダで捨てられることが喜ばれてる)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

どーしても、この悲しさに耐えられないんですねぇ。

それで、「大変なこと」なのは、わかってるんですけど、「捨てられない絵」を目指しているというわけです。

でも、そんな風に考えていくと、いろいろ見えてくることもあって、「捨てられない絵」のことを考えていると、当然「捨てられてしまう絵」についても見えてくるわけです。

先述のように、「流行のスタイル」はどちらかと言えば「捨てられやすい絵」ということに成りますし、「評価額」のような「金銭的な価値」も絶対的な要素とは言えないでしょう。
それどころか、「いい絵であること」もほとんど役に立たないような気がします。
「いい絵であるということ」は、要するにバランスがいいということですから、逆に言うと突出した部分がないということでもあるわけで、やはり、印象が薄くなってしまうということがあるわけです。
(「とんでもなくいい絵」であればいいんでしょうが)

けっきょく、この「印象」というのが「捨てられない絵」の条件なんじゃないか?と思うわけです。
見た人の中に「強い印象」を残せれば、その絵が捨てられる確率が低くなるだろうということですね。

もちろん、それが「いい印象」であれば一番なんでしょうが、それは「他人の好み」ですから、自分にはどうすることもできないことでしょう。

でも、とりあえず、「イイ・ワルイ」を抜きに「強い印象」ということだけを考えていくことはできるような気がするわけです。
「自分のスタイル」や「自分の感覚」を尊重したままでも、「強いインパクト」を追い求めていくことは可能だと思います。

要するに、「自分というモノ」を表現するうえで、「より自分であること」や「自分を強く表現すること」は、「印象を強めること」にもつながるし、結果的に「捨てられない絵」を残すことにもつながっていくんじゃないのかなと。
(だったら嬉しいんですけどね)


そんな風に思います。

それでも、捨てられた場合どうすればいいんでしょうか?私は...

1.まぁ、イイか?とあきらめる
2.誰か人のよさそうな人物を見つけて、絶対に捨てないように頼んでおく
3.『このゴミは、高額有料回収です』と書いて貼っておく

答え:自分で捨てる  『捨てられてないよ、捨てたんだもん』

「お前は一休さんかっ!?」





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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