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「物質面で生きやすい社会」と「精神面で生きやすい社会」



このブログでは、前から書いていることなんですが、「社会」には「人間(個人)」を阻害する性質があると思っているわけです。

「悪い社会」だから『人間が阻害される』ということではなくて、「社会そのものが持っている性質」の中に、「『人間(個人)を阻害する』という性質」が含まれているということですね。

これは、「今の社会に対する不満」を述べているというよりは、時代が進むにつれて高度化して来た「社会」が「『人間を阻害する』という性質」を日増しに強めてきているという話です。

そして、その「社会の性質」は、今に始まったことではなく、もともと「社会の根本的な性質」であるということを理解しないと、いかなる「政治」も「学問」も、すべてが無に帰してしまうような気がするわけです。
つまり、「社会の進歩」を前提としている限り、「社会」が進歩するたびに「人間疎外」も進歩・発展してしまうということです。
  

要するに、「社会の高度化」を、このまま成り行きに任せておくと、「人間」は「社会の奴隷」に成ってしまうだろうということですね。

「政治」は、基本的に「社会」を肯定するものですし、「社会」を推進し進歩させるものという役割を与えられてしまっているわけですから、そこのところを考え直さないと、「社会を抑制すること」はできません。
そして、その「抑制のきかなくなった社会」が『人間をますます阻害する』ということです。

「政治」だけに限ったことでもないと思います。
「社会」を進歩させると、「人間」がますます阻害されてしまうということが理解されていないと、その「社会」を前提にしたすべてのことが「人間を阻害する方向」で行われてしまうということですから、当然、「教育」も「芸術」も「哲学」もほかの学問も、すべて「人間」を阻害する方向で進められてしまうということです。

 ※完全に「アナーキー(無秩序的)な考え方」であれば、「社会」を前提に
  していないのかも知れませんが、そちらには、また別の問題が発生するの
  は、まず間違いないことでしょう。
  というか、それを、この「秩序漬け」・「文明漬け」の世の中で暮らして
  いながら言っても、あまり意味がないような気がしますね。
  

もともと、「社会」には「『人間を使役する』という性質」があったんでしょうが、過去においては、その「使役」が「人間の利益」に還元される比率が、常に「使役」を上回って向上してきたわけです。

しかし、現在の「高度化した社会」においては、その「伸び率」が次第に低下してきていて、それでいて「人間に対する使役」が増加していますから、どんどん「利益率」が低下していっているわけです。

 ※「社会による人間の使役」については、増加しているというよりも変質して
  来ているといった方がいいかも知れません。
  要するに、「肉体的な使役」から「精神的な使役」に変化してきたわけで
  すが、その「精神的な使役」が、現在に至って、さらに「精神的(知的)な
  作業」から、「ナニカを生み出すことを目的としない精神の消耗」という「不
  毛な労務」に変質したことで、人間にとっての負担が急激に増加したという
  ことだと思います。
  こういう一連の現象をひっくるめて「ストレス社会」というんだと思います。

20世紀中頃までは、「利益の圧倒的な伸び」によって、そこのところが見えなくなっていたわけですが、その伸びが頭打ちになってきたことで、「社会」が停滞しはじめて「ストレス」を抱えるようになり、現在に至っては、「社会の中で生きること」そのものが「ストレス」であるといっていいほどの状況に成ってしまいました。

そして、その「ストレス」こそが「社会による人間の阻害」に他ならないわけです。
だから、そこを抑制しないと、「ストレス社会」から抜け出すことはできないと思います。

要するに、「社会」をこれ以上発展させないほうがいいということです。
それで、肥え太っていくのは「社会」であって、「人間」は「奴隷」として使われるだけです。

 ※例えば、「公共事業」などにおいて「無駄」が指摘されることは多いですが、決して
  なくなりません。
  それは、「社会が根本的に持っている性質」に依って起きていることだからだと思う
  わけです。
  
  道路行政において「道路整備」を望んでいるのは「人間」というよりは「社会」です。
  「人間」は、その「社会」に使役されて道路を作らされますが、その「使役」によって
  「ストレス」を受けた人が、疲れ切ってしまって外に出る気力をなくして、せっかく整
  備した道路を走る人が誰も居なくなってしまうというのが、「現在の社会」の典型的
  な在り方です。
  誰も走りませんからほとんど老朽化しませんが、それでも必ず定期的に点検されて、整
  備されますし、それどころか、しばらくすると、また新しい道路計画が持ち上がったり
  します。
  『この道路はあまり使われていないから』という理由で。
  こんなことが日常的に起きています。
  なぜかといえば、「社会」が要求するからです。
  そして、その「要求」に従って「人間」が「使役」されてしまうからにほかなりません。

今の発想では、何か問題があると、「社会」を改善して「より良い社会」を作ろうとします。
しかし、そのことによって「社会」が進化して発展していってしまうと、結果的に「人間を阻害する社会」も発展して進化していってしまうわけです。

「社会」を「人間」にとって使い心地のいいものにするには、「社会の根本的な性質」を把握して、利用していく必要があるわけです。
そして、その「社会の利用方法」に対する必要性が高くなってきていると思うわけです。

もともと、20世紀中頃までの「利益増加」は、「一つの国の中」にも「国際社会の中」にも、さまざまな不平等があったことによって、局部的に起きていた「利益増加」であったわけで、その「利益増加」の裏には「貧困」や「格差」があったことは、もう誰にも否定できない事実といってもいいわけです。
世界的な不平等の現実が見えやすくなった現在、もはや「濡れ手で粟の利益増加」は見込めなくなっているわけで、そういうことは誰のトクにもならないというのが現実でしょう。

そうなると、「社会」を発展させることの意味は薄くなると思うわけです。

もともと、「人間」が「社会」を発展させ続けてきたのは、「利益」や「効率」を上げるためだったんだと思います。
「社会」を高度化して「より精度の高い社会」を作ることで、「利益」や「効率」を高めれば、それが「人間の利益」にもつながるだろうという考えで、「社会」は、発展し続けてきたんだと思うわけです。

しかし、その「利益の向上」や「効率の向上」が「人間を阻害するもの」としての性質を強めてしまった現在、「利益追求」をあきらめて、「社会による人間の阻害」を低下させる方向に考え方を転換していかないと、完全に行き詰ってしまうと思います。

 ※現在は利益が余っていると考えた方がいいような気がしますね。
  だから、もう利益追求にシャカリキに成る必要は無いと思います。

もちろん、そうなれば、ナントカするしかなくなるわけですから、いつかはナントカなるんでしょうが、できれば早くナントカしてほしいもんだなと思うわけです。

そんなところで、話が長くなってしまったので、次に続けます。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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