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人が「その作品」を「好きになる時」・「嫌いになる時」



人が「芸術作品」を見たときに、「好きになる時」と「嫌いになる時」があるわけですが、そういうことはどこで決まっているんでしょう?
つまり、「人の好き・嫌い」を分けているのは、いったい「ナニ」なんでしょうか?

なんでこんなことを考えるかと言えば、まぁ、要するに、自分の絵が人から嫌われることがけっこう多いからなんですねぇ。

人に絵を見せたとたんに、その人の表情が、サァっと曇るんですよね。
そういう時には、こちらも血の気が引きます。
『あぁ、見せなければよかった』と思います。
(まぁ、さすがに『あなたの絵が嫌いです』と言った人は、今のところまだ居ないですけど)

そうかと思うと、まったく思わぬ人から『この絵、イイねぇ』なんて言われることもあったりしますから、それはそれで、また、『不思議だなぁ』と思ったりもするわけです。
(まぁ、これは「お世辞」なのかもしれませんけど)


本当のことを言えば、「人に褒めてもらうため」に絵を描いているわけではないので、そんなこと気にしないほうがいいんでしょうが、でも、だからと言って、「人に嫌われるため」に絵を描いているわけでもないので、やっぱり、そんなこと気にしてしまうわけなのです。

個人的には、『今後、芸術作品を「好み」で判断する時代は終わっていくだろう』と思っているんですけど、現時点では、ほとんどの人が『芸術作品は「好み」で判断するもの』という考え方だと思います。

そうなると、現実問題としては、どうしても「好かれるか・嫌われるか」という両極にもっていかれてしまうわけで、中間がないんですね。
だから、『好かれるために描いているんじゃない』でも、『嫌われるために描いているわけでもない』という二方向からの圧力によって、『どっちも良くないよ!』という状態になってしまうというわけです。

嫌われたくなければ「好かれる絵」を描かなくてはならないし、「好かれる絵」を目指せば「自分の絵」は描けなくなってしまいます。
「自分の絵」が「好かれる絵」でもある人はいいのかもしれませんが、そういう人ばかりでもないわけですから、そうじゃない人にも「せめて嫌われないような自己表現の在り方」があればいいのになと思うわけです。

まぁ、そんなことから、「人がその作品を好きになる時・嫌いになる時」ということを考えてみるわけです。


まず、「好きになる時」ですが、『なんで、その作品だけを選んで「好きになる」のか?』ということです。

おそらく、「人がその作品を好きになる時」は、「その作品」の中に「自分と同じ要素」を見つけたときというのが一番多いパターンなんじゃないかと思うわけです。
つまり、「自分が美しいと思っている美しさ」とか「自分が考える芸術のあるべき姿」のような、「その作品」と出会う前から、すでにその人の中にあった要素つまり、「自分との共通項」ですね。
「自分」と「その作品」の間に、そういう共通項を見つけ出したときに、「人がその作品を好きになる」ことが多いんだと思います。
逆に言うと、共通項を全く見つけられないときには、共感できないわけですから、どうしても「その作品を好きになれない」ということになるわけです。

もちろん、そういうパターンから外れている人もいるでしょうが、実際には、このパターンに沿った人がほとんどのような気がします。


そうなれば、当然、「人がその作品を嫌いになる時」は、「その作品」の中に「他者」を見つけ出したときということに成るわけです。
つまり、「自分との共通項」が無いだけじゃなくて、「ハッキリした他者=異物」を感じ取ってしまうと、「人はその作品を、ハッキリと嫌いになる」わけです。

これも、パターンから外れている人はいるでしょうが、ほとんどの人がこのパターンに沿って「嫌い」に成っているような気がします。


とにかく「他者」っていうのは、人にとって「異物」なんですねぇ。

「自分との共通項」がないだけなら、「好きではない」ということで済むんですが、「異物」を見せられたときはほとんどの場合、強い拒否反応が返ってきます。
そして、当然、その時「人はその作品を嫌いになる」わけです。

だから、「自分の絵」を描いてしまうと、なかなか「人に好かれる絵」には成らなくなってしまうんだと思います。


さて、そこで、「人がその作品を好きになる時」の方に話を戻すと、「自分の絵を描くこと」が「人に好かれる絵を描くこと」と一致しないということは、「人に好かれる絵」は「本当のその作者の絵」ではない確率が高いということに成ってしまいます。
少なくとも、「その作者の作品」としての性質が弱いということに成るわけです。
でも、「その作者」が、必ずしも、「自分の絵」をかなぐり捨てて、鑑賞者に媚を売った「受け狙いの作品」を目指していたというわけではないと思います。
(そう言うのは、むしろ、あまり好かれませんからね)

それなのに、なぜ、「その作品」が好かれるのかと言うことです。

そこに、世間に流布されている「常識」とか「定説」とかといった「万人にとっての共通項」というものの影響があると思うわけです。

『芸術とはこういうモノである』とか『こういうモノが美しいものである』とかといった「公共の共有概念」のようなものですね。
そういう、世の中で「絶対原理」のように作用してしまっている「万人にとっての共通項」があるために、それに沿ったものは「好かれる」し、それに沿っていないものは「嫌われる」ということに成ってしまうわけですね。

完全に「共通項」として万人に受け入れられてしまっていますから、あえて選択されることもなく、だれもが持っていますし、普段から、すべての人が、すべてのことを、そういう「共有概念」に基づいて行っているといってもいいほどですから、創作者が「自分の作品」を創作するときにも、無意識のうちに、その「共有概念」が使われてしまうわけです。
さらには、「万人」が共有しているわけですから、だれかに向けて媚を売るということもなく、それは当然のこととして選択されてしまうわけなのです。

 ※話を分かりやすくするために、「万人」という言葉を使っていますが、ここで
  言う「共有概念」とは、必ずしも「世の中のすべての人が共有している概念」
  という意味ではありません。
  「限定的な集団において、その集団内のほぼすべての人が共有している概
  念」ということも含めて「共有概念」と言っています。

ということは、つまり、その「共有概念に基づいた作品」こそが「人に好かれる作品」であるわけです。

「万人にとっての共通項」を含んでいますから、「万人に好かれる」ということですね。
実に、当たり前です。



ところで、その「共有概念」は万人が持っているものですから、当然、ほぼ全ての創作者も持っているわけです。

ということは、「自分の絵」を描く創作者も、それを持っているはずです。
つまり、それを、あえて切り捨てて創作する人が「自分の絵」を描いているということです。
しかも、その絵が「嫌われる絵」に成るという前提で描いているということに成ります。


こういうのを読んだ人は、どう思んでしょうかねぇ?

『あはは、そんなトンマは今どきいませんよ!』

『まぁ、お気の毒に、生まれながらのアホなのねェ、おかわいそうに』

という感じでしょうか?


でも、そういう「アホでトンマなもの」が「芸術」なんだと思うわけです。

もっとも純粋で、もっとも不利益的なものが、少なくとも「私の中の芸術」なわけです。
たぶん、「共有概念」に沿っていません。
たぶん、人から好かれません。

でも、せめて『嫌われないように』と思ってやっているわけです。

それでも、嫌われるって、どうなのよ?
という感じですね。


 ※ここで言っているのは、「共通概念」に基づいた作品がダメだということでは
  ありません。
  ただ、そういう作品は無条件に好かれて、そうでない作品は無条件に嫌われる
  というのは、偏りがあると思うわけです。
  少なくとも、「現在の芸術」においては「自己表現」であることは、重要な意
  味を持っていると思いますから、「作者にとっての自己」すなわち「鑑賞者に
  とっての他者」と出会うことは、「現在の芸術」においては重要な要素だと思
  うわけです。
  それを前提にして言うなら、すでに、世間に流通している「共通概念」をメイ
  ン・テーマにした作品には「そこで生み出された作者の自己表現」との出会い
  がないわけです。
  もしも、そういう作品ばかりを鑑賞するのであれば、「現在の芸術」の「最も
  中心的な部分」に触れたことにはならなくなってしまうのではないでしょうか?
  


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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