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「共通言語(通じる言葉)」」から「オリジナル言語(出会う言葉)」へ



人間は「言語(ことば)」を身に着けたことで、コミュニケーション能力を飛躍的に向上させることが出来たんだと思います。
そして、その「言語(ことば)」とは、「共通言語」であったわけです。
しかし、人間は、そろそろ、そういう「共通言語」にも飽きてきているような気がするわけです。


そもそも、「共通言語」とはナニなのかと言えば、要するに、「通じることば」なんだと思うわけです。
そして、ただ単に、日本語とか英語というような「言語の種類」だけではなく、「共有されている価値観」とか「共有されている常識観」とかといった、基盤と成っている考え方や物事の捉え方があるから、「その言語」が通じるようになっているんだと思います。

その共有された「共通言語=通じることば」に、人間が飽きてきているという気がするわけです。

それで、その代わりに成ろうとしているのが「オリジナル言語」なんじゃないかと思うわけですねぇ。
それは、一人一人の人が、独自の感性や考え方で、「ことば」を構成するような「その人だけの言葉」ということです。
ということは、それは「通じないことば」に他ならないわけです。


「通じないことば」は、はっきり言えば、あまり実用的ではありません。
物事を正確に伝えたり、説明したりするには向いていないと思います。

ただし、その人が「自分」を表すのには向いています。
良く表せるんですが、残念ながら、それが人には伝わらないということです。
だから、あまり役に立ちません。

でも、だからと言って、まったく伝わらないということでもありません。
たとえば、英語しか話せない人と日本語しか話せない人でも、ナニカは伝えられたりします。
「英語」で伝えることはできませんが、「英語で話すこと」で伝わることが出てきたりするわけです。
何も話さなければ、何も伝わりません。
(テレパシーがあればねぇ…いや、テレパシーでも伝わらないのかも?)

それと同じように、「オリジナル言語」でも、伝わるものはあるはずです。
少なくとも、言語の種類として「同じ国の言語」を使っている場合、単語や文法は大体同じなわけで、それらの解釈に微妙な違いが出てくるだけですから、そこのところを、お互いに考えていけば、いろいろ伝わることも増えていくんだと思うわけです。
ただ、残念ながら、多くは伝わらないし、正確にも伝わらないということですね。

そして、人間の興味が、実用的な「共通言語」から、その不便な「オリジナル言語」の方に移行してきているような気がするわけですね。

といっても、これは今に始まったことではなくて、昔から、「芸術」においては「自己表現」として追求されてきたことだと思いますし、「学問」においても、独創的な研究をした人たちは、皆、「オリジナル単語」や「オリジナル言語」を使って自分の研究を表してきたんだと思います。
「哲学」などは、哲学者が「ことば」に「オリジナルの意味」を創り出すこと、または見つけ出すことこそが、「哲学」そのものであると言ってもいいくらいじゃないかと思います。

特に、「芸術の20世紀」において、「芸術」が「自己表現」としての方向性を確立したことは、現在に至るまで、強く影響していると思います。

 ※私自身は「芸術の20世紀喪失」という考え方をしているんですが、それは、
  あくまで、自分の「創作」に向かう姿勢を示すためのものであって、必ずしも
  「芸術の20世紀」を全面的に否定しようということではありません。
  それは『喪失するしかなかった』ということであって、「20世紀」に対して恨みがあ
  るわけではありません。
  だからこそ、「否定」でも「破壊」でも「削除」でもなく「喪失」であるわけです。


「自己表現」=「オリジナル言語表現」と言ってもいいくらいですから、「芸術の20世紀」は、まさにダイレクトにこの「オリジナル言語」を探求した時期でもあると思うわけです。

そして、さらに言うと、その「芸術の20世紀」が「自己表現」という芸術の方向性を確立したことによって、特定の「学者」や「芸術家」だけではなく、ごく一般的な人たちが、「オリジナル言語」の存在に気づき、それに興味を持つようになったんだと思うわけです。

ただ、現在は、まだ「オリジナル言語の使い方」が、確立されているとは言えないので、そこがネックに成って「オリジナル言語」が普及していかない状態だと思います。
(ここに「芸術の20世紀」の問題点もあるわけです)

なにせ、「通じないことば」ですから、通じませんし、「表現者にとってのオリジナル」ではあっても、「受け手にとってのオリジナル」はほとんど含まれません。
だから、ほとんどの人が「オリジナル表現」を受け取ったとたんにフリーズしてしまうんだと思います。
要するに、思考停止の状態になってしまうわけですね。
だから、興味がある人も、そこから先に踏み込めなくなってしまうんだと思います。

でも、それは、以前からの「共通言語」による「情報伝達」を目的とした言語習慣が残っているためだと思うわけです。
つまり、「オリジナル言語」においては、目的自体が少し違ってきたと言うことですね。

そして、その目的とは、おそらく「出会い」ではないかと思うんですねぇ。
つまり、「他者との出会い」こそが「オリジナル言語」の目的なんじゃないかと思うわけです。

もともと、「情報伝達」にも『未知なるものを知る』という目的があったわけですから、まったく別の目的に成ったということではないと思いますが、「伝達」は「伝わること=通じること」で成り立ちますから、「共通言語」を必要とするわけです。

要するに、「出会い」だけではなく、「理解すること」や「知ること」まで行って、初めて「伝達」されたことに成るということです。

でも、「オリジナル言語表現」においては、「理解すること」や「知ること」の意味よりも「出会うことの意味」を重視しているということですね。

といっても、これを一概に「言語の進歩」とは言えないと思います。
単なる「出会い」よりは、むしろ「理解」の方が進化した形なのかもしれませんが、「言語で理解できる範囲」が行き止まりに来たんだと思うわけです。
つまり、論理的な思考が行きつくところまで行って、もうこれ以上行く先がなくなったために、その「論理思考」の中でぐるぐる回り続けるしかなくなってしまったということじゃないでしょうか?
(近代以降の哲学などはそういう「無限ループ」に成っているように思えますね。よくは知りませんけど)

それで、いったん単純な形の「出会うこと」に、興味が戻ってきているんだと思うわけですね。
どちらかと言えば、「理解できないものとの出会い」こそが、「オリジナル言語表現」の目的であるといってもいいのかもしれません。
(「プリミティブ(原始的)な出会い」といってもいいのかもしれません)

もちろん、「理解されないこと」が表現者の目的なわけではないんですが、「オリジナル言語表現」においては、「理解されること」は二の次で、「自分であること」や「自分を表すこと」が第一目標になるわけです。
そうすると、結果的に「理解されにくいモノ」に成ってしまうということなんですね。

でも、「受け手」が「出会うこと」を第一目標にしている場合は、「その出会い」に「意味」が出てきます。

「理解すること」や「知ること」は「価値」を生み出すかもしれませんが、「意味」においては「出会い」にこそ、その本質があるといってもいいと思います。

「未知との出会い」には、「意味」があります。
それを「理解」できれば、さらに「価値」があると思いますが、あくまで「意味の本質」は「出会い」の方にあると思うわけです。

そして、さらに言えば、「理解」された瞬間に「意味」が「価値」に変換されてしまうと考えることもできるわけで、もう、そこに「意味」は無くなってしまう可能性すらもあると思うわけです。

そう考えれば、「意味」を重視していく場合、「オリジナル言語」を使っていくことに成るわけで、そのためには「出会うことば」としての「オリジナル言語」ということを、まさに「理解」していくといいんじゃないのかなと。
つまり、まさに、そこにこそ「価値」が生まれるということですね。

そんな風に思っているわけです。


『えっ、ナニ言ってるかわからない?』
『あぁー、オリジナル言語だからぁ』



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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