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「理解できない絵」と「理解されない絵」



「抽象絵画」においては、あえて「鑑賞者の理解」を求めないような絵が多いと思います。
『「理解されること」が目的ではない』ということなんでしょうね。

でも、私自身のことで言うと、やはり『理解してもらいたい』と思ってしまうわけなのです。
(「理解されること」は第一の目的ではありませんが、一つの目標ではあります)

ところが、です。
そんな気持ちで、『「理解される絵」を目標にして「抽象画」を描いていこう!』と思って描いていくと、不思議なくらいに、「理解されない絵」に成ってしまうという、『非常に悲しいジレンマに陥ってしまうんだよね』と思っている今日この頃なわけなのです。

と言うわけで、初めから「理解されること」を目標とせずに描かれた「理解できない絵」と、私のように「理解されること」を目標にして描いているのに、結果的に「理解されない絵」に成ってしまうという、この二つのパターンには、いったいどんな違いがあるのだろうか?と考えてみたわけです。


まず、この「理解できない絵」や「理解されない絵」と言うと、「抽象画」をイメージすることが多いわけですが、実は「具象画」であっても、『一般的には、とうてい理解されないだろう』と思うような絵は、けっこうあると思います。

まぁ、どちらにしても、一般的にいう所の「美しいモノが描かれている絵」ではないということだと思います。

そういう「理解できない絵」や「理解されない絵」が急激に増えてきたのは、「芸術の20世紀」に入ってから「芸術」が「作者の自己表現であること」を求められるようになったことに因るんだと思います。
つまり、その「作者の自己表現」が、必ずしも「一般的に言う所の美しいモノ」ではないということなわけですね。

だから、必ずしも「抽象画」とは限らなくて、「具象画」であったとしても、「作者の自己」が強く表された絵は「理解できない絵」や「理解されない絵」になることが、多くなるわけです。


さて、そこで、「理解できない絵」と「理解されない絵」のチガイと言うことです。

作者自身が、「理解されること」を求めていない場合、当然、「理解されにくい絵」と言うことになるはずなんですが、実を言うと、現時点では、必ずしも、そうとは限らないような気もするわけです。


少なくとも、現時点では、「抽象画であること」を完全に否定する人は、かなり少なくなってきています。
本当の意味で「抽象表現」を理解したり、肯定したりしている人は、ほとんどいないような気がしますが、反対に、完全に否定する人もかなり少なくなったというわけですね。

まぁ、要するに、『抽象画とはこんなものだ』と言うような漠然としたイメージが、既成事実として一般的に広まっているので、その「一般的な抽象画」に当てはまっているものは、なんとなくではあっても「理解される絵」になるわけです。
つまり、「抽象画らしい抽象画」でありさえすれば、「その絵」や「その表現」が具体的には理解されなくても、「なんとなく理解される絵」には成ることが出来るというわけです。
(『これはきっと抽象画なんだろうな』ということが理解されるだけですけどね)


ところが、一方で、理解されようとして「抽象画」を描こうとすると、その「抽象画らしい抽象画」のイメージから外れた絵になる可能性が強くなるわけです。
と言うか、「抽象画」のイメージの中に「理解できない絵というイメージ」が組み込まれてしまっていますから、「理解できる絵」は「抽象画」ではないということにされてしまいますし、「理解されようとすること」も「抽象表現」ではないということにされてしまうわけです。


結果的には、「理解されること」を求めないで描かれた「抽象画らしい抽象画」は、「理解できないこと」によって「理解される絵」になり、「理解されること」を求めて描かれた「抽象画らしくない抽象画」は、ほんのわずかながら「理解できること」によって、かえって「理解されない絵」に成ってしまうという、何とも不可解なことになってしまうわけなのです。


しかし、ここで、「抽象画らしい抽象画」と言うことに、やや問題があるような気がするわけです。
要するに、「~らしい」と言うことが、「既成概念」に成ってしまっているわけですね。

「既成概念」から抜け出したくて「抽象表現」を使うようになったのだとしたら、「抽象らしいこと」はむしろ避けるべきことであって、「抽象画らしい抽象画」を描いたのでは、そういう意味で「既成概念から外れたれた抽象画」ではなくなってしまうわけです。

そうなると、「抽象らしい」を求めるのではなく「抽象らしくない」を求めるべきなわけだし、「理解できないもの」ではなく「理解できるもの」を求めるべきなんじゃないのかなと。

そんなことから、なんとか理解されるように描いているつもりなんですが、これが、まったく理解されないという、現実の壁があるわけで、その辺のところは、いったいどうしたらいいんでしょうか?と。


そんな風に聞きたいわけなのです。
(いったい、誰に?)




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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