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「昔の王様」と「今のカネ」どっちがエライ?



「今」っていう時代は、世の中全体が「おカネ」に支配されている時代だと思うわけです。
ちょっと昔の時代までは、「王様」や「殿様」に支配されていたわけですが、そういう所からやっと抜け出したのも束の間、今度は「おカネ」に支配されちゃいました。
みたいな所だと思いますね。

それで、それならば「昔の王様」と「今のカネ」はどっちがエライんだろうか?と考えてみたわけです。
(いや、本当にエライということじゃなくて、支配力が強いのはどっちだろうか?ということですね)

一見すると、「昔の王様」は絶対権力者なわけですから、すごくエライようにも見えるんですけど、実際には「世界制覇」を達成した王様はいなかったわけだし、今のような強大な軍事力や組織的な治安機構があったということでもないわけですから、所詮、「昔の王様」には、いつ失脚するかもわからないような不安定な要因はいくつもあったんじゃないかと思います。

それを、あとの時代に成ってから、歴史の教科書の中で見ていると「すごくエライ感じ」がするだけなんじゃないかという気もするわけですね。
(絶対君主が行った圧政や侵略などがクローズアップされてしまうので)

もしかすると、一般庶民は、現代人が思うほど「王様の支配」を意識して生活していなかったんじゃないでしょうか?
(あくまで想像ですが、政治や国家に対する一般庶民の意識は低かったでしょうね)

これは、一般庶民にとって王様が雲の上の存在だったからというだけではなくて、「王様の支配力」が王様の所属していた階層に近いところでは強い支配力であったのに対して、一般庶民階級のようなかけ離れた階層においては、完全に隅々まで行き渡っていなかったということでもあると思います。

今のようにマスコミがあったわけでもないし、教育が普及していたわけでもなかったわけですから、一般庶民は、ただ単に『長い物には巻かれろ』程度の感覚で服従していたようなところもあったような気がしますね。

そこへ行くと「今のカネ」は、完全に世界をスミズミまで支配しているといってもいいと思いますし、「政治」も「軍事」も「教育」も「マスコミ」も、すべて「おカネ」を基準にして回っています。
だからこそ、「その支配」を「受け流せない状況」があるわけで、その結果生み出され続けているのが「社会的ストレス」と言われているものだと思います。

そう考えると、「今のカネ」は、「昔の王様」なんか及びもつかないような絶対的権力を持っているといってもいいと思うほどです。
ただ、それが『人間ではない』と言うことです。

だから、「人間」が「おカネ」を使ってさえいれば問題ないんだと思いますが、実際は、「人間」が「おカネ」に使われているとしか思えないようなことがたくさん起きているのは否定できない事実だと思います。

 ※例えば「ブラック・企業」の経営者は、、みんな「悪人」なんでしょうか?
  例えば「ハラスメント」を行う人は、みんな「傍若無人」なんでしょうか?
  例えば「汚職議員」は、生まれながらの「悪徳政治家」なんでしょうか?

  そういう人たちを擁護するつもりなんか1ミリもありませんが、どう見ても
  「ごく普通の人」が、そういうことをやっているとしか思えないことがある
  のも確かなことで、そういう時に、そういう人たちが、『「おカネ」に振り
  回されている』としか思えないのも、また、確かなことなわけです。

そうなると、「おカネ」自体は人間でなくても、「おカネの支配」を実行させられるのは「子分の人間」ということに成りますから、その都度、その「子分=実行犯的な立場」に立たされた「人間」が、「おカネの支配」を肩代わりして実行することに成るわけです。
これを、その都度、「実行犯」だけを捕まえて裁いていても、あまり意味がないような気がしますね。
また、別の子分が、親分の代わりに鉄砲玉として「支配」を実行するだけですからね。

けっきょく「今のカネ」は「昔の王様」よりも、かなりエライんじゃないのかなと。
そんな感じもしてくるわけですが、そうなると、『あれ?いったい何のために民主化したんだっけ?』みたいなことに成るわけで、『なんか、かえって支配力強まってるんじゃないの?』みたいなことだったら、『なんだ、じゃあ、初めから王様とその手先でよかったんじゃないか?』と言うことに成ってしまうわけですねぇ。

まぁ、確かに、「王様の一存で殺される人」なんかは居なくなったわけですが、世の中全体を見た場合は、果たして良くなったのか悪くなったのか、そこのところが不確か過ぎるんじゃないでしょうか?

何よりも、昔は服従させられていたのに対して、今は自主的にやらされてますよね。
つまり、「民主主義」の名のもとに、すべてのことが「民衆」のやったことに成ってしまうわけです。
確かに、厳密に言えば「民衆」にも責任の一端はあるんでしょうが、「民衆」に影響力がある手段が与えられていないのも事実なわけですから、それが、すべて「民衆」のやったことに成ってしまうというのも考えもんだと思いますよ。

 ※「選挙」は「民衆に与えられた権利」というよりも、「現状の社会」を自己責任の
  名の下に、「民衆に丸飲みさせるための手段」として働いていると思いますね。

つまり、支配されているのは「民衆」」で、支配しているのは「カネ」であり「社会」であり、その手先として「支配」を実行させられているのは「人間」なわけです。
一見すると「支配する側の人間」と「支配される側の人間」に分かれているようにも見えますが、実を言えば、現代社会においては、「支配」と「被支配」は分けることが難しくなっていて、「全ての人」が「支配する側」でもあり、「支配される側」でもあるといってもいいんじゃないかと思います。

唯一「完全なる支配者」として君臨しているのは「社会」であって、その「完全な支配」を実行するための手段として使われるのが「絶対価」としての「カネ」であるわけです。


そんなわけで、とりあえず、言えることは「今のカネ」は「昔の王様」と比べても『かなりエライ!』ということかなと。

そんな風に思っているわけです。

 ※実を言えば、「今のカネ」だけじゃなくて「昔のカネ」も『かなりエラかった!』とは
  思いますが、昔は、今ほど政治や国家が安定していなかったんでしょうね。
  だから、国家の保証の下でしか「絶対価」と成り得ない「おカネ」は、今ほどの支
  配力を持っていなかったんだと思います。
 
  まぁ、時代とともに出世したんでしょうね「おカネ」。
  だから、「王様よりエラク」なったんでしょう「おカネ」。。
  それで、「さらにシタッパ」に成っちゃいました「人間」。。。
  




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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