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「刺激」と「感動」



芸術と言えば「感動」といってもよいのではないかと思います。
実際に、芸術の条件を「感動するもの」と言う人は多いのではないでしょうか?

ところが、現代美術を見ていると、そこのところがしっくりこないことがあるわけです。

とてもインパクトがあって、強く心に残る作品があった場合でも、その衝撃力に「感動」が比例していないとでもいうのでしょうか。
それどころか、ときによっては、むしろ反比例するように感じることすらあるわけです。

これは、私の勝手な考えですが、いつの時点からか「感動」と「刺激」が入れ替わってしまっているように思うわけなのです。

刺激的で、インパクトの強いものが主流を占めるようになり、「刺激」がないと、どこか乗り遅れたもののように見えてしまうという現象があるような気がします。

もともと「刺激」を求めていたのなら、いいと思うのですが、元は「感動」を求めていたのに、いつの間にか「刺激」の強さに乗っ取られてしまっているようにも思えるわけなのです。

少なくとも、わたしの場合は、その入れ替わりがあるから、しっくりこないのかなと。
そして、もう一つ重要なことは、強い「刺激」と言うのは往々にして、人間の精神を破壊するということなのです。
それは、ドラッグがミュージシャンの精神を潰してしまうことなどで、すでに答えが出ていることだと思います。

麻薬とは違うので、「刺激」がすべてダメだとは思わないのですが、それを、際限なく追及していくのは、どうかと思ってしまうわけです。

ただ単に、「こんなもの芸術じゃない」と言うようなことが言いたいわけではないのです。
むしろ、惹きつけられる要素があるほど忌避感も強くなると言った方がいいでしょう。

何か、もう少し素直に「感動」できる方向に、軌道を修正できないものなのかなと。

そんな風に思ってしまうわけなのです。






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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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