FC2ブログ

「長い題」=詩のような題(その13)



「長い題」=詩のような題(その13)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、「長い題」が二つ三つ出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)

はじめの二つは、ほとんど同じようなものなんですが、どっちがいいのかわからないので、両方書いておきます。

『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『げんだいの じょじしを かたること』
それは この プラスチックの せかいを すてること

げんだいの じょじしを かたること
それは この みせかけの じかんを とめること

げんだいの じょじしを かたること 
それは この そとがわの からだけに なった じだいを ぬぎすて
にんげんの にくたいと せいしんを とりもどすこと


もういちど ときめくじかんを つくりだそう
あの みわくされる しゅんかんを おもいだそう

みも こころも ささげてしまいたく なるような
にんげんの せいを よびもどし
この ぬけがらの じだいに いきを ふきこもう


もし かりに いまに まんぞくしていると いうものが いるのなら
そんな ひとは おいていけばいい
この じだいの ぬけがらと ともに

その プラスチックの ぬけがらに へばりついて いたいなら
それを とめる ひつようは ない
かれらに とっては それが ゆいいつの しあわせ なのだから


もはや われわれに そんな ためらいは ない

この じだいに ちを そそぎこみ
にくたいを よみがえらせ 
そこから ふきだす かんきが この せかいを みたしたとき

そこには 
にんげんの いのちが 
えいえんに おどりつづけることが できる くうかんが 
うかびあがる ことだろう

その やくどうする せかいを まのあたりに してしまったからには
もう われわれが ここに とどまる りゆうは なくなった


そう われわれは たった いま 

げんだいの じょじしを かたりはじめると けついしたのだから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『げんだいの じょじしを かたること』

それは この プラスチックの せかいを やめること 
それは この みせかけの じだいを すてること

それは この いつわりの じかんを とめ
こころおどる じかんの ながれを とりもどすこと


いま この ページを やぶりすて
あらたな ページを くわえよう

プラスチックの じだいに
れきしという なまえは にあわない

それは せんねんごには きえてしまう ページ

そんな ページを かさねても 
げんだいの じょじしは かたれない
この プラスチックの せかいに 
じんじつの こえが ひびくことは ない


このままでは ひとの からだも プラスチックに なるだろう
このままでは ひとの こころも プラスチックに なるだろう

そう この みせかけだけの ページを かさねていけば
そう この しんじつのない おんがくを かなでつづけていけば

きっと プラスチックの にんげんたちが
ただただ せいかくに ときを きざみつづける
そんな よのなかに なるだろう


だから いま 
しんじつの ことばを かたりはじめよう
たとえ それが まやかしだと いわれても

それは せんねんごに じょじしと なって
かたりつがれる ものがたりに なるのだから

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この二つはほとんど同じなんですが、どちらがいいか自分ではわからなかったので。







関連記事

Comment 0

There are no comments yet.