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「長い題」=詩のような題(その19)




「長い題」=詩のような題(その19)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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すべての ひとの なかに
みにくくて きたない ほんしょうが かくされている

それを かくしとおした ものを 
ぜんにんと いっている


そんなことは とおらない
そんなことは ありえない
そんなことは ゆるしては いけない


でも しかし 
かくしておかねば どうなるのか

あぁ きっと 
みんな みにくく なるんだろう

そう きっと 
すべての ひとが がきと なり
もうじゃのように はいまわる

だから かくしていくしか ないんだろう


そう それが
『それだけが まだ ひとに できること』


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『はるか まいそうのちへ』 たびだつ
そこが どこなのかは まだ わからない


わかっているのは 

そこが はるかかなたの こだかい おかの うえで あるということ

そこに たどりつきさえすれば 
やすらかな きもちで この からだを ぬけだし
かぎりなく じゆうな たましいと なって 
せかいじゅうに ひろがって ゆくことが できるということ

そのばしょで まいそうの ぎしきを おえた からだは
かぜのように かろやかに ふきわたり
みずのように なめらかに ながれて
いっさいの いたみを ともなうこと なく 
きえて ゆくことが できるということ

そして のこされた こころは 
かぎりなく ちいさな てんに なり 
せかいの すみずみまで いきわたり
へんざいする ことに なるということ


それだけ わかっていれば ふそくは ない
そこに ゆきさえすれば
きっと しずかな よろこびと ともに まいそうされる ことになるだろう

あぁ いつのひか 
ひとは その おかのうえの ちを みつけだすことが できるのだろうか


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『もしも そこに からだが あって』
そのなかに こころと いわれるものが あるのなら

それで じゅうぶんな はずなのに
それで ふそくなく たりている はずなのに

どうして くるしみや いたみが あるのだろう
いったい どこから かなしさや いかりが やってくるのだろう

いや それが 
わかれば すべて きえてしまう
こころも からだも きえてしまう

だから きっと わからない

たぶん それで いい


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