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「長い題」=詩のような題(その22)








「長い題」=詩のような題(その22)です。

今は、基本的に新しい記事の投稿をしていないんですが、また「長い題」がいくつか出来たので、それだけ書いておきます。
(「題」だけが貯まると、何となく気がめいってくるので)


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『ピエロのように いきれば』
きっと たのしいに ちがいない


ピエロのように たまのり
ピエロのように つなわたり
ピエロのように さんりんしゃ


きっと たのしいに ちがいない


ブカブカの くつを はき
ダブダブの ズボンを ひきずって
ひょこひょこ あるく


きっと たのしいに ちがいない


はげちゃびんの かつらを かぶり
なきがおの けしょうを ぬって
つんのめって ころんで みせれば だいかっさい

サーカスは われんばかりの だいかっさい
ピエロは サーカスいちの にんきもの


だから きっと たのしいに ちがいない


ないているのに わらってる
つんのめっても よろこんで
ひっくりかえって おおわらい

そんな ピエロのように いきれば


きっと たのしいに ちがいない


みんな よろこんで いるなら

きっと たのしいに ちがいないから


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『アンビバレントな アンバランス』

ゆらゆら ゆられて ながされそう
でも
くっついて はなれない

ふらふら とばされて しまいそう
でも 
やすやすとは はなさない


そんな アンビバレントな アンバランスが からまりあって
いきもののように うごきだす

しょくぶつのように ねを はり
どうぶつのように せいちょうし
そして 
にんげんのように かんがえ はじめる

すると 
アンビバレンスが ふくらんで
くらくら めまいで たおれこむ

また ひとつ アンビバレントな アンバランスが できあがる


でも いつのまにか 
ぼくは バランスを とりもどし ただよっている

ゆったりと なみに ゆられて ただよっている


でも きっと 
また アンビバレンスに つかまって
また アンバランスに たおれこむ


そんな ふうに いきていても
こまることは ないのだ けれど

そんな ふうに しんでいくのも
こまることでは ないのだ けれど 


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『とつぜん なにかが おちてきた』


これは いったい なになのか

にんげんか
いや ちがう はねが あるから

それなら きっと てんしだろう
いや ちがう あたまの リングが ないから

もしかして みたことも ない どうぶつか とりだろう
それとも まさか しょくぶつか


いえ これは 
そういうものでは ありません

そう これは
こころが おちて きたのです


だれの こころなのか わかりません
どこから きた こころなのかも しりません
これが いったい いつごろの こころなのかに いたっては
けんとうも つきませんが
こころなのは まちがい ありません

なぜなら こわれて いるからです

こんな こわれかたを するのは 
こころに ちがい ありません


そうです
ここは こころが おちてくる ばしょ なのです

おちてくる こころは たいてい こわれて いますが
こまることは ありません

ここは そのための ばしょ なので
こまることは ありません

ここに ずっと いれば
こわれた こころが こまることは ありません


そんな ばしょに 
こわれた こころが
きょうも あまつぶのように ふり つづけている


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

かこを すて 
みらいも すてて 
げんざいを いきる

それとも

かこを とりこみ 
みらいも とりこんで
げんざいを いきる


かこを すてることは できるのか

できる わけが ない
それじゃ げんざいが きえてしまうから


みらいを すてることは できるのか

できる わけが ない
それを いいおわらない うちに 
すかさず おしよせる みらいを すてることなど ふかのうだ


かこを とりこむことは できるのか

それが できない わけは ない
かこは すでに ここに あるのだから


みらいを とりこむことは できるのか

それが できない わけは ない
みらいも すでに ここに あるのだから


じかんとは 
かこと みらいと げんざいが
ひとつの いまに ふくまれた せかい

そんざいとは
すべての ものが ひとつの もの
ひとつの ものが すべての もの
そんな
ひとつの てんに すべてが ふくまれる せかい


じつを いえば
そこに じかんは ない
ほんとうのことを いってしまえば
そこに そんざいなど なにも ない

そこに ながれは なく
そこに うごきも ない

たいせきも なく
しつりょうも ない


そんな むの なかに
すべての ゆうが ふくまれる

そういう てんの なかに
なんと すべてが ふくまれる

すなわち ゼロの なかに
むげんの かずが ふくまれる


さからっても しかたない
じかんに さからったって しかたがない

こんな よのなかに いきている われわれに
できることなど なに ひとつ ないのだから







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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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