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『むかし いた ばしょを おもいだす』






「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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『むかし いた ばしょを おもいだす』

それは 
あたたかい つちや くさばなに おおわれた
やわらかい ばしょで ありました

むかし いた じかんを おもいだす
それは
ひそひそと たのしそうに はなしを する こどもたちの こえや
そとから きこえる とりの さえずり だけが ただよう
ゆるやかな じかんで ありました


そんな きおくを たどって
むかし いた その ばしょに かえって みました
そんな ときを なつかしく おもって
むかし いた その じかんに もどって みました


ところが 
なつかしかった その ばしょは
やわらかい ばしょではなく
もどりたかった その ときは
ゆるやかな じかんではなく

その ばしょには
ガラスの はへんが さんらんする けわしい みちを
とけいの びょうしんに せきたてられて 
あるきつづける ひとたちが ひしめいている
そんな じかんが ありました

いまと おなじように


もしかしたら おもいでを さかのぼる とちゅうで
みちを まちがえたのかとも おもいましたが
まちがえようは ありません

あるきつづける ひとたちに はさまれて
こどもの わたしが いたのですから 
まちがえようは ありません


しかたなく なつかしい ばしょを あきらめて
いまに もどって きて みると
たしかに 
みちは けわしさを ましており
ときの せわしなさは とうの むかしに げんどを こえて
ひしめきあう ひとびとは けたたましい さけびごえを あげています

けっきょく 
むかしも いまも いいとは おもえません


それでも
わたしは そのことが わかって よかったと おもいます

もう 
そこに もどる ひつようが なくなりましたから

もう
ひしめきあって いがみあいながら
いっしょうけんめいに ガラスを ふみつづけるのは

やめようと おもいます


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※下の曲はブルースの中では一番有名な曲かも知れません。

この曲を作ったといわれているロバート・ジョンソンはシカゴがカリフォルニアにあると思っていたようです。
(別の説もあると思いますが)
彼は、シカゴにもカリフォルニアにも行かずに死んでしまいましたが、たくさん人が居てたくさん仕事があって黒人でも豊かな暮らしができると思ってシカゴにたどり着いた黒人たちも、けっきょく「田舎の貧しさや田舎の差別」から「都会の貧しさや都会の差別」に変っただけだったようですから、彼はシカゴに行き着けずに、シカゴがカリフォルニアにあると思い込んでいられてよかったのかもしれませんね。







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