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「組織」には意思があると思うのです



ある法則や規則に基づいて集団が形成されれば、それを「組織」と呼ぶことができるのかと思います。
社会性を持った動物や昆虫などもいますから、人間には限らないのでしょうが、まぁ、一応、ここでは人間の「組織」ということで。


そこで、よく感じてしまうのは、「組織」の実態は、それを形成している個々の人間なわけですが、その個々人の意志や意向と、一致しているとは思えないような「組織の意思」と言うものが、「個人の意思」とは別個に、かなり独立した形で、存在しているということなのです。

もちろん「組織」を形成している「個人の意思」が、全く反映しないわけではないと思いますが、複数の「個人の意思」が集団内で統合されて一つの決定や判断になっていく過程で、それが、「組織の意思」に成り変わっていくのかなと。

そして、さらには、その「組織の意思」が「個人の意思」とは、全く別の方向性を持ってしまうことも、しばしばあるように思うのです。


国家や会社などの公的なものから、家族や友達のグループなどの私的で少数のものまで含めて、ありとあらゆる「組織」において、この「組織の意思」が働いていて、それが、その構成員である一人一人の「人間の意思」を無視して、決定や判断を下しているとしたならどうなんでしょう?

「個人の意思」が無視されるわけですから、当然不満が出るでしょう。
そして何よりも、そこに本来の「意思」はないということが問題に成って来るわけです。


「組織の意思」と言っても、それは「誰かの意思」ではないので、そこには「意思」としての方向性や統一感は、もともとないわけです。

だから、「組織」内での話し合いの結果「???・・・」という感じの、意味がわからないような結論が導き出されてしまうことが、よくあるのでしょうね。

そして、これが言いたいのですが、ひとたび「組織」によって下された結論となったものは、「個人の意思」で翻すことが難しくなってしまうということなのです。

たとえ、それが、、誰にも望まれていない結論だったとしても「組織」が下した判断には、従わなければならなくなってしまうわけです。

ある法則や規則に基づいて形成されたのが「組織」ですから、その法則や規則に従わねばならなくなるということですね。

これは、おそらく民主主義が抱えている決定的な問題ではないのかなと。
なぜなら、この場合「多数決」や「話し合い」はあまり役に立たないからです。

もちろん、それらのやり方が功を奏することもあるでしょうが、意外と、それらが〝困った結論"を導き出してしまうことも多いということですね。

これらのようなケースでは、大抵「まぁ、みんなで決めたことだから」と言って諦めるというのが、常套手段になってしまっているのが現実でしょう。


これに対して、どうすればいいのかは、そう簡単に思いつきませんが、取り敢えず、この「組織の意思」と言うものが独立したものとして存在して、それが自分たちの意思とは無関係に勝手な結論を突き付けて来ることがあるということを、忘れずに意識していることだけはできることなのかなと。

とにかく、政治や世界の情勢なんかを見聞きするたびに、いやいや、もっと身近な夫婦喧嘩や、親子や友達同士の間の諍いなどにおいても、これは、いったい「誰の意思」に基づいてこんなことに成ってしまったのだろう?ということがとても多いように思ってしまうわけなのです。

そして、それが、もしも実体のない「意思」によって仕向けられてしまっているものだとしたら、こんなに、バカバカしいことは無いんじゃないのかなと。


そんな風に思ってしまうわけですね。





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68:
※67
>二人のどちらもが望んでいないような結論が・・・
なるほど、そうであるあならば組織の意志が決定される要因というのはなんなんでしょうね。この問題なかなか手強いですね。また考えるようにします。ありがとうございました。
67:
※66
MKさんコメントありがとうございます。
確かに、数の問題は大きいと思うのですが、私は、少人数の場合でも同じことがよく起きているように感じてしまうのですよ。
例えば、たった二人しかいない組織でも、二人のどちらもが望んでいないような結論が導き出されてしまって、それを、二人とも変えることができなくなってしまうということがおるように思うのです。
共同経営なんて言うのも、なかなか、うまくいかないと言う話をよく耳にしたりしますよね。
66:
組織には意志がありますよね。
これは量質転換の問題と言えると思います。
2,3人の組織だと個人の意志の集合が組織の意志ですが規模の大きな組織になると個々人の考えの総和ではないですよね。
じゃあ、何人の組織から組織が意志を持ち始めるのか?となると土をトラックで何杯どけると山が山でなくなるかという、話しになってしまいます。

「個々人の意志の総和」から組織の意志が変質を始めるきっかけ(人数?組織のルール?歴史?特殊な個人の存在?)があるはずです。それがなんなのかというのが明快にはわからないです。
なんとなく言えそうなことは、組織を構成する個人やグループの細かい思惑の集積が組織の意志というものを複雑にしているんじゃないかと思います。堂々巡りで申し訳ありません。

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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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