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『りろせいぜんと かわれつづける』




「長い題」=詩のような題です。

このブログ、今はこの「長い題」だけを更新しているんですが、だいぶ数が増えてきて、どこにどの「題」があるのか、探すのが大変に成って来たので、これからは、一遍につき一つの投稿にしようと思います。


『  』の中は「題の題」のようなモノです。
その絵を呼ぶのに使う「呼び名」だと思ってください。
「ニックネーム」のようなものです。
(本当は、フルネームで呼んでもらったら最高ですけどね。落語の「寿限無」みたいで!)

あぁ、言い忘れてましたが、「絵」の「題」です。
あくまで「タイトル」として作っています。
その辺はこのカテゴリの最初の記事で説明しています。

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おりの なかで かわれている
どうぶつたちが おりの なかで かわれている

えさを あたえられ
せわを されて 
なにふじゆう なく くらしている

しかし そこに やせいは ない
しかし そこに しぜんは ない
しかし そこに いのちは ない

ほんのうは うしなわれ
よろこびも なくされて
それを いのちとは いわない

きょうも たしかに いきている からだは
きょうも たしかに しんでいる こころは


そう 
この おりの なかでは
いきることが しぬこと であり

くうことも ねむることも
しぬこと である

きょうも あしたも
なに ふじゆうなく いきさせられて
なに ふじゆうなく しにつづける


そんな みえない おりの なかで
きょうも にんげんという どうぶつたちが

たっぷりと えさを あたえられ
ゆきとどいた せわの なかで

『りろせいぜんと かわれつづける』

まるで 
せいじゅくした おとなの にんげんたちには
えさと せわの ほかに
もう なにひとつ ひつような ものなど ないかのように


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※以前投稿した「詩のような題」のイメージに近い曲を思いついたので、下に貼っておきます。









※曲を変えました。
この曲は、刑務所の中で、囚人の演奏を録音したものです。

こんなにも情感ある歌を歌える人が、なんで刑務所なんかにいたんでしょうねぇ。

実は、1960年代までのアメリカ南部の囚人農場では、大した罪も犯していない黒人に重い罪を着せて、労働力として確保していたという話もあって(というか、そういうやり方がスタンダードだったとも言われています)、この歌を歌っているロバート・ピート・ウィリアムスも、この曲をアメリカ国会図書館の民俗学資料として録音したアラン・ロマックスという人の請願によってのちに釈放されていますが、本当に重罪犯であれば、きっと釈放されていなかったんじゃないかと思います。

こういうことは、証拠がないことが多く、法的には立証できないんですが、もしかすると(というか、たぶん)、自分が捕らえられたことについての苦情を申し立てないということを条件に釈放されたということなのかもしれません。

もしも、そういうことがあったのであれば(おそらく、ごく一般的なことだったと思います)、アメリカン・ブラック・ピープルという民族は、アメリカ国内で二度目の奴隷狩りに合っていたということに成りますね。

わたしは、その時期その場所にその立場で生まれなくて本当に良かったと思いますが、今の時代のニッポン国を見ていて、それと大差ないと感じることを本当に悲しく思ってしまいますねぇ。

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※この「詩のような題」に対応する絵がこれです。
絵を追加したので投稿しなおします。




P1020337_(2)_convert_20200714152840.jpg




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※この「詩のような題」は、前に別の記事としてまとめて投稿した中の一つです。
私は、このブログを始める以前から「芸術表現の多重化」という構想を持っていて、その一環として「額」を制作するところから、自己作品への欲求が高まっていったという経緯があります。
その後、「額」に関しては「絵の中の額」と「絵の中と外をつなぐ二重の額」といった具合に、構想が広がって行ってしまったために、自作することが困難な状況に成ってしまい、今は手つかずに成っています。
しかし、「絵の中の額」という意味で、絵の中にストライプの部分を描きいれるというスタイルは続けていますし、また、この「詩のような題」のように、「絵とタイトルとの間の多重化」についても継続して試行錯誤していきたいと思っております。

また、「絵と音楽との間の多重化」についても、当初から構想としてはあったものでしたが、「視覚的な表現」と「聴覚的な表現」との間の壁が厚く感じられていたために、なかなか手が出せずに居ました。

ところが、どうやら、「タイトルと音楽」の間には、あまり隔たりを感じずに融合できそうな気がしてきたので、このところ、そういう「詩のような題」と「音楽」を組み合わせた投稿をしていました。
そこで気づいたことは、過去に投稿した「詩のような題」の中にも「音楽」との融合が出来そうなものがあるということです。

そういうわけで、今後、過去に投稿した「詩のような題=ポエティック・タイトル」を一つづつ切り離して、「音楽」と融合させていくという作業を行っていく予定です。
もちろん、「音楽」との相性がいいモノばかりではないので、どれぐらいできるかは、まだわかりませんので、その点はあしからず。







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