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⑶≪真術≫の不可能性                              1.≪真術≫は不可能なのか?


   1.≪真術≫は不可能なのか?


前の記述でも少しふれたが、≪真術≫の不可能性については、もう少し詳しく説明しなければならないだろう。

わざわざ新しい名称まで設定しておいて、いまさら言いにくいことなのだが、≪真術≫はとても「不可能性」が高い分野なのである。
つまり、平たく言えば、『実際には、何もできないかもしれない』と言うことなのである。

ただし、わざわざ「不可能性」というやや不自然な言葉を使うのには理由がある。

それは、完全に達成されることはないだろうが、『近づくことはできる』し、『その近い位置にとどまり続けること』ができれば、何らかの成果を残すことができる可能性はあると言うことだ。

それから「不可能」なことを行うという行為自体に意味があるということも含めて、この「不可能性」という言葉を使っている。

なぜ不可能なのか。

それは「真実」という≪観念≫があまりに純粋すぎて、「完全に純粋には成れない人間」には創作することができないからだ。
要するに、不完全な道具で完全なものは創り出せないということだろう。

人間は、「真実」を直感的に感じ取ることぐらいはできても、把握する(論理的に)となると「不可能」としか言いようがないのである。
そして、把握できていないものを物質化する、即ち、創作(表現)するということは、ほぼ不可能だと言わざるを得ないのである。
従って、≪真術≫は最も「不可能性」が高い分野だと言うことになってしまうのである。
(ただし、次に≪真術≫の可能性について述べている)










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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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