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「言葉の仕掛け」というもの



言葉には「言葉の仕掛け」に成りやすい性質があると思うのです。

ここで言う「言葉の仕掛け」とは、表面上はその言葉の示す通りの意味に見えていながら、その裏側に、それとは違う意味や方向性を持ってしまっている言葉のことを指しています。


それは文学表現上の「隠喩」というのに似ていなくもないわけですが、そちらとの違いは、「隠喩」があらかじめ意図されたものとして、敢えて、表と裏の二つの意味を与えられているのに対して、こちらは、言葉が社会の中で流通しているうちに、その言葉を使った者が当初意図したのとは違う意味や方向性を持つようになったものであるという点なのです。

そして、そういうものの中でも、ここで特に「言葉の仕掛け」と呼んでいるものは、表の意味が裏の意味に食われてしまって、意味をなさなくなっているにもかかわらず、その言葉を聞いた者が、裏に違う意味があることには気づかずに、その言葉を使っているうちに、いつの間にか無意識にその言葉を裏の意味で使うようになってしまうという、仕掛けられた罠のようになってしまっているものなわけです。

なんでこのようなことが起きてしまうのかと言えば、それは、おそらく、言葉の持っている性質として、一つの言葉を境界にして、世界が二分されるということがあるからだと思うのです。

つまり「〇〇」と言ったとき、世界が「〇〇」と「〇〇でないもの」に二分されるわけです。
「〇〇」と言った人は、「〇〇でないもの」については全く触れていないのに、「〇〇」と言っただけで、「〇〇でないもの」についても、語ったことに成ってしまうわけです。

そこで、「〇〇」と言う表の意味と、「〇〇でないもの」と言う裏の意味が形成されてしまうのだと思います。

要するに、AさんとBさんが居る場合に、Aさんばかり何度か褒めていると、Bさんについては何も言っていないのに、自動的にBさんを貶していることに成ってしまうということでしょうか。

実際には、これがもっと複雑に成っていって「言葉の仕掛け」ができて来るわけです。

そして、これは言葉の持っている本質的な特徴だと思いますので、これを変えることはできないのだと思うわけです。

ですから、言葉を使うときには、常に、このような罠が仕掛けられていることを想定しておく必要があるのだと思うのです。
そして、何か特定の言葉に対して、罠に嵌ったような違和感を感じたときには、立ち止まって、どこにその罠があるのかを確認する必要があるのだと思うのです。

それをせずに放置して、その言葉を使い続けると、繰り返し使われるたびに、少しづつ裏の意味と表の意味がずれていって、いつの間にか、とんでもない所に連れていかれてしまうということも出て来るのだと思うのです。

人間は、まだ、自分たちが思っているほどには、言葉をうまく使いこなせていないと思いますですから、もう少し、言葉に対して謙虚になって、慎重な使い方をしていくべきなのかなと。


20世紀後半辺りからでしょうか、あまりに急速に教育が行きわたったために、教育の中で抜け落ちている部分というのがあるように思うわけです。
高度な理論を教える前に、言葉の使い方をもっと徹底しておくべきだったのではないのかなと。

昔で言う、「読み書きそろばん」だけを教えていたのならば、今の言葉の使い方でも、ことは足りていたのでしょう。

でも、これだけ多くの人が高校や大学へ通うようになった今、そこで教えられている知識のすべてが、言葉によって教えられているともいえるわけですから、その言葉が、使いこなせていないようでは、知識が増えたことが、マイナスにも成りかねないわけです。

その種の、「言葉の仕掛け」が生み出している、まったく意味のない誤解や誤見が、とても多いように思うわけなのです。


ここのところが、スッキリしただけでも、かなりいろいろな物事が見えやすくなるのではないのかなと。


そんな風に思っているわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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