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人間は、まだ「言葉」を使いこなせていない? 



人間と他の動物を、最もはっきりと区別できる点は、論理を構築する性質(習性)を持っているか否かではないかと思います。
しかし、その反面、人間はまだ言葉を上手くはコントロールできていないように思うわけです。


人間は何をするにも、先ず言葉で考えて、そこに何らかの理論を展開してからでないと実行できないといってもいいほど、言葉で考えることが習性化していると思うわけです。

でも、それがなかなか上手くは出来ていないと思うことが多いわけなのです。

また、世の中の変化が早すぎて、論理の使い方にも常に修正が求められるために、対応しきれていないと言うこともできるのかもしれません。
たぶん、その両方なのでしょう。


例えば、「常識」と言う言葉一つを考えても、それが次から次へと更新されていくわけで、一定の期間スタンダードとして機能していなければ、「常識」であること自体に意味がなくなってしまうと思うのですが、そこに、意味が無くなっても、まだ延々と「常識」が更新され続けているというのが言葉の現状ではないでしょうか?

そして、現代社会には、そういったことがたくさんあるわけですから、その意味の無くなってしまった言葉の上に築かれた論理が、有効なものにならないということが多くなってしまうのだと思うのです。

また、人間が論理を使うということを習性として持つようになったのは、人間社会がかなり複雑化して、人間としての生活が、言葉で考えること無くしては成り立たないような状況ができてからでしょうから、まだ、人類の進化の中では歴史が浅く、その習性がうまくは身についていないのかもしれません。


いずれにしても、習性化しつつあるから、それを捨てることも難しくなっているわけで、それがうまくコントロールできていないというのは、かなりの弊害になっているように思うのです。

もう、論理を捨てることができないのなら、それを何とかうまく使いこなしていくしかないわけですが、言葉の上に言葉を重ねていくという作業の中で、一つ一つの小さな誤差が積み重ねられて、最終的には、かなりおかしなところに着地してしまうというケースも少なくないのではないのかなと。


その点を修正するには、言葉と言うものを根本から認識し直す必要があると思うのです。

先ず言葉には、種類があると思うわけです。

同じ言葉でも、文学における言葉と、情報伝達における言葉は全く違う性質を持っていますし、そういった、「言葉の種類」は沢山あると思うのです。

それを、混同したまま使っていれば当然誤りが出て来るわけです。

また、はっきりと種類が違うというほどでなくても、その使い方にもバリエーションがあるわけで、例えば、言葉には世界を二分するという性質があると思うのですが(「〇〇」と言ったとき、世界は「〇〇」と「〇〇でないもの」に二分されるというような)、そういった、極めて単純化された機能と同時に、一つの言葉が様々な意味を内包しているという複雑で曖昧な機能をあわせもっているために、そのどちらの使い方がされているのかを判断するのが難しくなってしまうのだと思います。

そのほかにも、まだまだ言葉の誤謬(ごびゅう)を招く要素は沢山あるように思われますが、それらを、言語学者などが、もっとうまく利用できるようにわかり易く、解説していく必要性があると考えているというわけです。

ただ、ここで大切なのは、わかり易く解説することであって、研究することではないように思うのです。

言語学などの研究と言うのは、かなり難解なものになってしまっているわけで(私は詳しくありませんが、たぶんチンプンカンプンだと思います)、それ以上の研究を追究していっても、一般的には理解し辛くなってしまって、浸透しないでしょうから、現状の成果をできるだけ理解し易いように解説したり、教育したりするところに力を使ってほしいと思うのです。

そして、言葉が成り立っていなければすべての学問が成り立たないことを考えれば、現在、教育の場において言葉の見直しは、必要性の高いものになってきているのではないのかと思うわけなのです。


このところ、同じ日本語で会話をしていても、全く話が通じないと感じることがとても多くなっているので(おそらく、そういう時は相手も同じように感じているのでしょう)、こうした見直しをぜひお願いいたしたいなと。


そんな風に感じておリます次第でございます。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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