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「性差」について

性別やそれに付随する役割については、ジェンダーと言う言葉で呼ばれていますが、

そういった、性別によって生じているさまざまな「差」が、論争のテーマに成ることが多いわけです。


これは「性差」に限らず、あらゆる「差」についても言える事かと思うのですけれど、

そこに「差」が生まれるのは、そこに違う種類ものがあるからで、

同じ種類のものしか無ければ、「個人差」以外の「差」が生まれることはあまり無いわけです。


つまり、そもそも違うものだということを前提に「差」が発生しているのだと思われるわけです。

だから、「違い」という「段差」があることを踏まえて、話を進めないと話が混乱してしまうのだと思うわけです。

要するに、「男性の立っている平面」と「女性の立っている平面」は違う平面なわけですから、

どちらか一方の平面だけを意識して、話をしていてもすれ違ってしまうのだと思うのです。


実際、その手の論争は、理屈の上では筋が通った論議のようになっている場合でも、

結局は、お互いどちらか一方の立場から、ものを言っている場合が圧倒的に多いように思われるわけです。

それどころか、はっきりとどちらか一方の立場をとらないと

話に参加することすらできないようなところもあったりするわけです。

「中立」=「八方美人」みたいな感じになってしまうわけですね。


そして、なぜそう成ってしまうかと言えば、「同じ」を求めてしまうからではないかなと。

「平等」や「同権」といった、「同じ」に近づけることを良しとするような、

キーワードのもとに話を進めていくために、どうしても「同じ」を目指してしまうのかなと。


でも、実際に必用なのは、「同じ」ではなくて「違い」に対する話であって、

その「違い」を前提にした「平等」や「同権」が、実は「同じ」とはかなり違うものなのだと思うわけです。


そして、その【「違い」を前提にした「平等」や「同権」】をどこに設定するのかということこそが

話し合う必要のあるところなのではないのかなと。


現在では、「平等」や「同権」は、かなり多くの人が認めているものであって、

「男性側についた人」を、敢えて「差別主義者」に見立てて話をする必要は、もうないのかなと。


むしろ、みんなが「平等」や「同権」を求めているという前提で、

その、男女それぞれにおいての「平等」や「同権」がどこにあるのかを見つけ出していくような

作業が行われるべきなのではないかと思うわけです。


例えば、男女に同じ雇用機会が与えられることよりも、

男女それぞれにおいての職業に対する充実度や、そこから生じる負担が均等に近いことの方が、

望まれる「平等」であって、職種や職域自体に不均衡があったとしても結果的に

双方が納得できるような実態があればそれでいいように思うわけです。


というよりも、「男女」が違うものであるということを考えれば、

最終的なところでの「平等」を求めれば、当然その手前の所では「違い」が出て来るはずなわけです。

だから、むしろ「同じ」であることの方が、よほど「不平等」なことともいえるわけなのです。


そして、こういったことは、政治や法律で規制したり規定したりすることと言うよりは、

現場的な、その場での決め事であるべきかとも思えますが、

その決め事をするような習慣と言うものが、まったくできていませんから、

やはり何らかの方向付けが必要なのだと思うわけです。


それにしても、これだけ数が少なくなっている「差別主義者」に属する人が、

かなりの数で、それを決める「政治」の世界に居たりするというのが、

とても悲しいことなのかなと思ったりもするわけですけれど、

権力と言うのはそういう性質のものなのかなと。


そういう、取り止めのない話でした。



関連記事
86:
>その【「違い」を前提にした「平等」や「同権」】をどこに設定するのかとい
>うことこそが話し合う必要のあるところなのではないのかなと。
ここに全て集約されてますよね。
意図的にちがう解釈を誘導する連中は困ったものだと思っています。
87:
※86
MKさん、コメントありがとうございます。
前にも、他の記事に書いたことですが、「区別」ができていないことで、
「差別」が生まれるのだと思うので、「区別」を「差別」と一緒にして、
無くそうとすることは、一見、厳密な「平等」のように見えるのですが、
むしろ、それこそが「差別」の源になっているように思えるのです。

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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※上の画像は習作として描いた絵に洋金箔を貼ったものです。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ現在ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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