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「人間を否定すること」と「行為や状態を否定すること」は全く違う



このブログでも何度か書いてきたことですが、現在の日本では、否定的なことを言うことがタブーのようになってきていると感じるわけですけれど、これには、かなり見落とされているところがあるように思えるわけなのです。


見落とされていることは、いくつもあると思うのですけれど、中でも「人間を否定すること」と「行為や状態を否定すること」が、ほとんど区別されていないと言うのは、かなり大きなことではないのかなと。

「人間」と言うより、もっと正確に言えば「人間の存在」を否定するということは、避けるべきことかと思われるわけですけれど、「人間の行為や状態」を否定することは、避ける必要がないと思うわけです。

これは、人間に限ったことでもないでしょうが、「存在」と言うものは否定しようとしても、そうそうできるはずはないわけで、「存在」を否定するのであれば「全て」を否定せざるを得なくなってしまうわけでしょうから、そうなれば、何の話も成り立ちませんし、それはかなり無理があると思うわけです。

まぁ、「在る」ものを「無い」と言ってしまえば、なにも成り立たなくなってしまうわけですから、そこには無理があると言わざるを得ないのでしょうね。

だから、当然「人間の存在」も、その人がそこに「在る」かぎり否定できないはずなわけですから、それを否定するということは、まったく不当なことであって、理に適っていないわけなのでしょう。

でも、「行為や状態」を否定することについては、根本的な「存在」の否定ではなく、その有り様についての部分的な否定ですから、それとはまったく異なるものだと思うわけです。

そして、その二つが区別されていなかったり、意味のない区別がされていたりすることが、「否定」や「批判」の機能を失わせているように思われるわけなのです。

つまり、「否定」することはできる限り避けるべきことであって、できうるかぎり無差別に「肯定」に向ける努力をするべきであるというような無理な論があったり、なんとなく度を越している場合は「批判」してもいいとか、犯罪者だったら「否定」してもいいとか、皆が悪く言っている人だったら「悪く」言ってもいいとか、そういった意味のない区別がされている場合がとても多いと思うのです。

でも、実際は、どんな場合も「人間」は否定するべきではない(できない)し、「行為や状態」は否定しても、何の差支えもないのだと思うわけです。


犯罪者であっても否定されるのは、その「行為」であって、その「人間存在」ではないはずでしょう。
(これは「死刑の是非」とはまた違った意味に成ると思います)
まして、みんなが悪く言っているからと言って、その人の「存在」自体を否定してもいいはずがないわけですが、それが結構まかり通ってしまっているように思えるわけなのです。

そして、まさに、そこから各種のハラスメントやイジメ、差別などが生まれているということは明らかだと思われるわけです。

つまり、「否定しない」ことや「否定の区別がなされていない」ことで、かえって非常に否定的な状態が生み出されてしまっていると言わざるを得ないわけなのです

「存在」は基本的に、否定しないのではなくて否定できないわけですから、それを、どうこう言っても仕方がないわけですが、「行為や状態」については否定や批判をするべきであって、それをしないということは、要するに「悪」を肯定することにしかならないわけです。

完璧なものがないのだとすれば、どんなものでも「否定や批判」をされる要素があるはずで、それがタブーになってしまうと、全てのもの事は少しづつ「悪い」方向へ向かうに違いないわけなのです。

「否定や批判」と言う「食い止める力」が働いていて、やっとバランスが取れているのですから、それを取り除いてしまえば、そう成るのは当たり前のことなのだと思います。

そして、「行為や状態」を批判することこそが、「人間」を否定することを阻止するための唯一の手段ではないかとも思えるわけなので、その機能が失われつつある現状は、「人間存在」の危機的な状況であるというように思えるわけです。

「行為や状態」を否定されて傷つくのは、所詮、つまらない表面だけのプライドや見栄の部分だけなのですから、そこのところは諦めて、もっと大事な「人間」の根本的な「存在」を守らなければ、どうにもならないのじゃないですかと。

お互いに人格を否定し合っているような、状態が蔓延している世の中で、表面上の「肯定」だけを追いかけていても、その隣で「肯定を名乗った否定」が、堂々とまかり通っているのでは、なんの役にも立たないのじゃないですかと。

ですから、偏った「肯定」は「悪」を生むものでもあるということを、考えるべき時なのではないのかなと。
そして、それを「止める力」があるのは「否定」だけなのだから、そこで躊躇してはダメなんじゃないですかと。


つまりは、そういうことが言いたいわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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