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芸術が社会現象の発端であると考える理由



私はこのブログの本題である「宣言文」の中で、「芸術」や「哲学」と言うのは、世の中に起きていることに対して、或は、これから世の中に起きることに対して、少なからぬ責任があって、芸術者や哲学者を名乗る者は、その責任を感じて、創作や探究に当たるべきであると言っているわけですけれど、それは、いささか「芸術」や「哲学」を偏重した見方なのではないのか?と思う方もおられるのかもしれません。

 ※「芸術者」:「創作者」・「鑑賞者」・「批評者」の三者を含めて、「芸術者」と呼んでいます。

それは、それでもっともなことだとも思うわけですけれど、それでも、やはり私は「芸術」と「哲学」は社会で起きる現象の発端であると思いますし、また、そう考えるべきであるとも思ってしまうわけなのです。


ここで、はじめにお断りしておかねばならないのは、これは、決して芸術者や哲学者が預言者であるとか、偉大な芸術者(哲学者)は、世の中を先導するような力があるということが言いたいわけではないということです。

そういった、「芸術」や「哲学」を買い被ったようなことが言いたいのではなく、例えば、「食」に関わる人は当然のこととして、衛生面や、栄養面、それ以前に、安全性に対して責任があるわけです。
(個人的には、「味覚」に対する責任までもあると考えております)

いずれにしても、どんな業種にもそういった責任があるはずなわけです。

それと、同じ意味で「芸術」には「芸術」の、「哲学」には「哲学」の責任があるというようなことが言いたいわけですね。
ですから、このことは、ほかのどのような業種に対しても、転じて同じことが言えるのだと思っておりますが、たまたま、ここでは「芸術」の話をしていますので、このような言い方になっているというだけのことなわけです。

 ※ただし、「芸術」や「哲学」と言う分野は、「特別な自由」が与えられている分野で
  あるという意味では、ほかの分野以上にこの点に注意する必要があると思ってい
  ます。
  その「特別な自由」によって、「芸術」や「哲学」における責任が問われなくなって
  しまったり、そういう責任を感じていない人が居たりするのは確かなことだと思いま
  す。
  

それから、これは何も「偉大な芸術者」や「偉大な哲学者」に限ったことではなく、その対象となるのは、「芸術者」・「哲学者」を名乗る全ての者なのです。

つまり、『私なんか、そんな影響力などありませんから』というのは通用しないということです。


これは、「食」に関わる者の例を考えれば、当然だということがわかるでしょう。
『私なんか大した料理人ではないですから』という理由で、衛生面や安全性をナイガシロにすることが許されるわけがありませんよね。

それと同じことなわけですから、「芸術」だけが特別扱いされて当然というのが、むしろおかしいわけなのです。


さて、そこで、なぜ「芸術」と「哲学」が、社会現象の発端であるのかと言うことですけれど、そもそも「芸術」と「哲学」は、物事の本質を追究する分野であると考えておりますので、それら二つのジャンルと言うのは、今見えている「事実」や、起きている「現実」から、そこにある本質を見出して、それらの持っている「真の姿」を探究するために存在している分野だと思うわけです。

つまり、現在起きていることや、見えているものよりも、さらに「本当のこと」に近づいたものを、研究したり表現したりするための分野であるのだと思うわけです。

ですから、当然のこととして、その「本当のこと」が将来に、現実となって立ち現われてくるだろうというわけなのです。

そこで、また、『やっぱり預言者(先導者)だと言いたいんだ』ということが出て来るわけですが、そうではなくて、「真理」や「真実」などと言うもの自体が、形のあるものではないわけですから、追究するといっても、それは、そうそう達成されることは無いわけです。

実際には、「真理」や「真実」を〝追究しようとする者"が、「芸術者」であり「哲学者」なのだと思っておりますので、預言者のような「断定」は、できるはずがないのだと思うわけです。

 ※もちろん、私が「宣言文」の中で断定的に述べていることのように、これは、もう
  疑いの余地がないでしょうという場合もあるわけですが、それは、「芸術」や「哲
  学」の探求とは、また別のことだと思っています。

じゃあ、なぜ、そのあくまで予測にすぎない「本当のこと」が将来「現実」となっていくのかと言えば、それは、人々が「芸術者」や「哲学者」を、どこかで信頼しているからだと思うのです。

「美術家」が、これを美しいと言っているのならば、これが美しいのだろう。
「哲学者」が、これを「真理に近いことである」と言っているのだから、これは間違っていないのだろう。
と言った、信頼があるからこそ「美術家」が美しいと言ったものが、「美しい」ことに成っていき、「哲学者」が「真理」と言ったことが「真理」に成っていくのだと思います。

『そんないい加減な!』と言われれば、そうなのかも知れませんが、それが現実だと思います。
そして、この点においてだけ、「芸術」と「哲学」は、他の分野と違って、特別なのだと、私は思っています。

「芸術」と「哲学」は、ほかの分野とちがって、「真実」や「真理」と言う人間には直視できない領域を扱っていますから、その精度や正統性を確かめることはできないわけで、どうしても、「芸術者」が「芸術」だと言えば、それが「芸術」であるということに成ってしまうという性質があるわけです。

 ※この点については、『芸術の専門家が言っているんだから、それに従うべきだ!』
  とか、『哲学者は頭がよくて、たくさん勉強していて、高度な思考に達しているんだか
  ら、それを正しいとするべきだ!』と言うようなことではなく、当然、一般的な人も、「芸
  術者」や「哲学者」の言ったことに対して、批判したり、拒否したりする権利も自由も
  あると思います。
  (と言うか、その意見を発した時点からは、その人自身も「芸術者」であり、「哲学者」
  であるということに成るわけですが)
  それとは別に、実際に世の中が「芸術」と「哲学』の指し示した方向に動いて行ってし
  まうという事実があるということは否定できないということです。

このようなことによって、「芸術」と「哲学」が社会現象の発端になっていると、私は考えるわけなのです。

そして、上に述べたように「芸術者」や「哲学者」が言ったことが、そのまま通ってしまうという性質もあると思いますので、そこには、さらに重い責任を感じて、ことに当たるべきではないのかなと。


そんな風に思っているわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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