FC2ブログ

人生で、回数が決まっていること



ある時、ふとしたことで思ったのですが、人生の中で、食事の回数はだいたい決まっているなと。
だとすると、一回美味しくない物や食べたくない物を食べると、結果的に、おいしいものを食べる回数が一回減ってしまうわけで、それを意識するようになってからは、私は極力、食べたくないものは食べないようにしているわけなのです。
(私はほとんど嫌いなモノがないので、これは「好き嫌い」の話ではありません)


でも、これはよくよく考えると食事に限らず、いろいろなことに言えているようにも思うわけです。

例えば、寝る回数や風呂に入る回数などかなりのことについて、回数がだいたい決まっているようにも思えるわけです。


私の場合は、食べ物に対する執着心が強いので、さほど美味しくもないものを仕方なく食べるところまではギリギリ我慢できても、それで美味しいものを食べる回数が一回分減ってしまうのだと思ったとたんに、それは、もう我慢できる範囲ではなくなってしまったわけですね。


今のところ、食事以外で、具体的にやっていることは無いのですけれど、このような考え方で、「その一回」を大事にできるようになっていければ、人生が充実していくのかもしれないですね。

私は、『いまさら充実しなくてもいいよ!』とは、まったく思わないので、生きている限りは、「その一回」を意識していくのだと思います。


そして、生きることの話から正反対の側に話は飛びますが、死ぬときには、いい死に方をしたいと思うのです。

どういうのがいい死に方なのかは、わかりません。


でも、回数だけはわかっています。

死ぬ回数は一回です。



輪廻転生という考え方もあるでしょうが、私は、「限られた時間」・「限られた回数」・「限られた分際」に閉じ込められた「限られた人生」を生きているという意識で考えております。


何度も生まれ変われると思ってしまうと、たぶん、私のような人間は『じゃあ、また次の機会に』となってしまうと思いますから。

実際、「限られた人生」の中でさえ、『まっ、それは、また明日』ということが多いし。


『はい、今やれることをやりましょう』

『できないことはできません』

と言う風に思っています。




関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR