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「画面をコントロールすること」と「偶発性に任せること」



絵を描くときに、技術によって画面をコントロールしようとするタイプの描き方と、ある程度(または全面的に)偶発的に現れてくる効果を大事にしていこうというタイプの描き方があると思うわけです。


私の場合は、画面を常に把握していたいという気持ちはあるのですが、それは、感性の部分だけで技術によってコントロールすることには、それほど興味が行きません。
(まったく興味が無いということでもないですけれど)

また、制作の過程が進んでいくと、だんだん偶発性に任せる部分の方が多くなっていくわけなのです。
(普通は逆なのかも知れませんけど)


絵が形になってくると、その路線でまとめようとする気持ちが出てきてしまうので、その線を崩して、新たな局面を展開したくなるのだと思います。

そうやって新しい局面を加えて行った分だけ、絵に〝深さ"が出ると思っているわけです。

それから、技術で画面をコントロールできたときの「うれしさ」と、偶発的な効果が、自分の想像を超えて現れたときの「うれしさ」は、質が違うのかもしれませんが、私の場合、自力で達成した「うれしさ」よりも、自分の力とはいい難い面もある、偶然の効果による「うれしさ」のほうが、「うれしさ」が上回っていることが多いようです。

だから、どうしてもそちらに近よって行ってしまうのかも知れません。


技術的な満足感と言うのは、どうも「自己満足」のような気がしてくるのです。

反面、偶然現れた効果に直面すると、自分の作品であることとは無関係に、「うれしく」なってしまうわけなのです。


まぁ、『それも一種の自己満足だろ』と言われればそうなのでしょうが、『自分でやった』感じが薄いので、あまり気にせずにいられるわけです。


私の中では、この偶発的な「うれしさ」の方が「感動」に近いような気がしています。
つまり、「感動」とは、何かに〝直面すること"なのかもしれないなと。


こういうことに、いまさら気が付くとは、今までは何を描こうとしていたのかと。


そんな風に感じています。




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