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「ポジティブ」過ぎなんじゃないでしょうか?



このブログでは、何度か繰り返し言ってきていることなのですけれど、現在の日本では、「ネガティブ」であることが忌避され過ぎていると思うわけです。

でも、だからと言って「ポジティブ」が悪いというつもりは、まったくないわけなのです。


と言うよりも、私自身どちらかと言えば「ポジティブ」側でもあるわけです。
ですから、「ポジティブ」であることは、いいことだと思っていますし、「ネガティブ」を全面的に肯定すべきだとも思わないんですね。


そこで、この「ポジティブ」と「ネガティブ」を「ポジティブ」の側から見ると、「前向き」で、「肯定的」でと、いいことが多いわけですが、それでも、やっぱりマイナス面もあって、その中でも決定的なのは、「批判力」を持たないということでしょう。

そして、さらには「批判精神」自体を打ち消してしまうような作用も持っているように思うのです。
(「批判」をも含めて「ポジティブ」に捉えるということを言ってしまうと、なんでも「ポジティブ」に成ってしまって、
「ポジティブ」という言葉自体が成り立たなくなってしまうので、これは無しでしょう。)

「批判精神」を失うということは「進歩」しなくなるということです。
「前を向いて」いても、その場で足踏みしていたのでは、「ポジティブ」とは言えないでしょう。
少なくとも、いま日本で言われている「ポジティブ」には当てはまらないでしょう。

 ※ここで言う「進歩」とは、「絶対的な意味での良くなること」ではなく、「変化」に
  近い意味です。
  すべての物事は「変化」せずにいることはないと思いますので、その「変化」を
  受け入れることが「進歩」なんだと思います。


「肯定的」ということは「現状肯定」をも意味します。

「進歩」や「展開」は「現状否定」から生まれます。


現在、恵まれた立場にある者が、「現状肯定」を支持するのは、ある意味当然のことですが、それを「ポジティブ」とは言わないでしょう。

それは「保守的」なことであり、「保守的」なことは、正当な権利の範囲で行われる限り、何も悪いことだとは思いませんが、でも、やはり、まったくもって「ポジティブ」なことではないと言わざるを得ないのであります。


つまり、現在の日本で使われている「ポジティブ」は、「肯定的」と「進歩」と言う二つの意味を、両立させるべき言葉であるように思われますが、この二つには背反的な面が多分にあるということでしょう。


こうなってくると「ポジティブ」の設定自体が、怪しくなって来るわけです。

要するに、表と裏の両面がないと全てのものが成り立たないというのと同じで、「ポジティブ」と「ネガティブ」も両方あってこそ成り立っているのだと思うわけです。

そこで、どうしても、「ポジティブ」は無条件に「OK」で、「ネガティブ」は全て「NO」という、今の日本の状況が〝行き過ぎ"と感じてしまうわけなのです。


私に言わせていただけるのならば、現在の状況は明らかに〝行き過ぎ"で、「ポジティブ信仰」と言ってもいいように感じてしまうわけですが、時として滑稽なほどの〝行き過ぎ"が、全面的にまかり通ってしまっているわけなのです。


これでは、「前向き」で素晴らしい「ポジティブ」の裏側に回ってみたら、中身はカラッポだったということに成りかねないし、現に、そういうことが日に日に増えてきてもいるように思われるわけなのです。

この状況を打開するには、現在「ポジティブ」を支持している側の人が、その〝オカシサ"を感じたときに、『「ポジティブ」であるべき』とか、『「ネガティブ」は避けるべき』という考えに捕らわれずに、今よりも、積極的に「ネガティブ」を取り入れていく以外にないのだと思うわけです。

つまり、見栄えのいい「ポジティブ」に、地味な「裏付け」を与えていく作業が、必要になってくるのだと思うわけです。


そして、そういう作業を行ってみると、現状の「ポジティブ」の中に「裏付け」のしようが無いようなもの、言い換えれば「実体の無いポジティブ」が、いかに多いかに気が付くのではないのかなと。


そんな風に、思ってしまうわけなのです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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