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「直面すること」と「予定調和ということ」



これも、さらに前の記事の続きです。


私は「直面すること」に感動している自分に、いまさらながらに気が付いたわけですが、その「直面すること」とは、いったい何なのかと考えるわけです。


それは、おそらく「予期せぬ出会い」のような、先入観や、予備知識や固定観念のような「お膳立て」に成るものがない状態で、頭の中に、ダイレクトな感じで〝パンッ"と入って来たものとの出会いなのかなと。

技術を駆使した絵と言うのは、どうしても「お膳立て」の部分が多くなるので、「直面すること」から遠く感じてしまうのかも知れません。

だからと言って、技術的な絵がダメだとか嫌いだというつもりはありません。
ただ、技術の中に垣間見える「直面すること」の部分に、より惹きつけられるということです。


それはともかくとして、「直面すること」の対極にあるものとして、「予定調和」と言うのがあると思うわけです。
つまり、「お膳立て」の部分がほとんどで、「予期せぬ」の部分が少ないものということですね。


「お膳立て」と「予期せぬ」の比率が、どれぐらいからが「直面すること」で、どれぐらいまでが「予定調和」なのかは、それぞれの人の感覚によると思いますが、どんなものにもこの両面があって、その比率が違うだけなんだと思います。


私は、美術館で絵を見た時などではなくて、美術雑誌でも何でもない普通の雑誌に、たまたま出ていた絵とか、街を歩いている時にたまたま目に入った広告の絵柄なんかに、〝グッ"と惹きつけられることがよくあリます。

こういう人って、意外とたくさん居るんじゃないかなと思っているのですが、どうなんでしょう?


美術館に美術を見に行くというのは、どうしても「予定調和」になってしまうと思うわけです。
好きな作家の作品を、「楽しみにして」見に行くわけですから、完全に「お膳立て」ができているわけです。

時間が余ったから暇つぶしのつもりで入った美術展や映画などが、『それが、意外と良くってね』と言う話はよく聞くと思うのですが、
そういうのは、ただ単に『期待してなかったからハードルが低くなった』と言うだけではなくて、「直面すること」に依って起きていることなのかもしれません。

ただし、それがただの「出会いがしら」であるのかどうかは、また、別の話だとも思いますが。

少なくとも、「直面すること」には何らかのインパクトがあるのかなと。


それから、人が何かをを好きになる「きっかけ」というのも、 意外とこの「直面すること」に出くわしていることが多いのではないのかなと。


なんの気なしに見た何かに、いきなり魅了されてしまって、それ以来、それが大好きになったということも多いのかなと。

ただ、無意識の状態で〝パンッ"と入ってしまうので、それが「直面すること」であることに気が付かないことが多いんじゃないでしょうか。


「直面すること」=「感動」ではないのだと思いますけれど、「直面すること」が「感動」の一つの重要な要素だということはあるのかなと。


今のところ、そんな風に思っています。



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