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「具象」と「抽象」の融合



「抽象」という概念はかなり昔からあったのでしょうが、その概念が芸術上の理念として確立されて、明確な方向性を与えられるようになったのは、20世紀に入ってからなのでしょう。

以来、それは、常に「具象」と対立または対比するものとして、考えられてきたと言えると思うのです。

でも、その対立や対比には意味がなくなってきていて、この二つを圧縮して融合させることが求められて来ているように思うわけなのです。


これまでにも、多くの作家がこの二つの「極」を両立させることを試みてきたと思いますけれど、それは常に、「二極」の「対立」や「対比」という形をとっていたように思うわけです。

でも、実際には、この二つは初めから両立していたのだと思うわけです。

そもそも、この二つが両方揃っていなければ、芸術表現は成り立たないはずなわけで、「完全な具象」も、「完全な抽象」も有り得ないと思うのです。


既に両立しているのに何が問題なのかと言えば、それは、「二極」が融合・圧縮・凝縮されていないことだと考えるわけです。


「抽象」という概念が、はっきりと認識された20世紀初頭において、それは、既成の芸術を打ち破るものとしての期待が大きかったためか、あまりにも突出した理念構造を与えられてしまったという側面があるのだと思うわけです。

つまり、「二極」の片方が突出してしまったために、もう片方も「極」をなす方向でしか存在できなくなり、結果的に、「二極」の対立という構造ができてしまったのかなと。

そこで、両立を目指している場合であっても、常に、この対立を軸にした考え方が付きまとってしまったのかなと。


今までは、この二つのどちらかに「極化」するか、二つを「対比」させるか、二つの中間に位置をとって、「中庸化」するか、これらのいずれかしかなかったように思います。

私は、ここで「二極」を圧縮することを考えているんですね。
この二つを、力を込めて圧縮して融合・凝縮しようということです。


この圧縮に必要になってくるのが、「額」なわけです。
「額」と言うよりは、「枠」と言った方がいいのかもしれません。

この「枠」と作品を折り重ねていくことで、「二極」を融合しようとしているわけなのです。
「額」や「枠」を「ツナギ」にして「二極」を圧縮して一体化させようということです。


まだ、納得のいくものができたとは言えないですし、手探りな部分がほとんどなので、遅々として進みませんから、常に、「現状不満足」な状態です。

時々、『こんなんでいいのか?』と極端に不安にもなります。


でも、手ごたえはあると感じています。
何時かは、納得できるものができると確信しています。
何時かはわかりません。


と、こんな感じで御座います。



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