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「芸術」は「自己満足」なのか?ということ



芸術表現や創作することについて、『そういうのは、所詮自己満足だろ』と言うことがよくあるわけです。
第三者が言うことよりも、作者本人が言っていることの方が多いように思います。

そして、私もよく言っていたと思います。


でも、本当は、「自己満足」なんかじゃないと思うわけです。
本当に「自己満足」だと思っていてやっているわけではなくて、どこかで、自分以外の人にも〝伝えたい"いや、〝伝わってほしい"と思ってやっているのだと思うのです。

それから、人から見たら、まずもってわからないような「小さなコダワリ」についても、『こういうのって、自己満足だよな』と思ってはいるわけですけれど、やっぱり、何かそこから伝わるものもあるのではないかと思っているからこそ、そういう人から見たらどうでもいいようなことに、『そんなことに、そんなに時間かけてるんですか?』と言われるようなことをやっているわけです。


そして、また、実際にも、人が心血を注いで作り上げたものが、一人の人にも伝わらないなどということは、どう考えてもあり得ないとも思うわけです。


だから、もう、『自己満足なんですよ』なんて言わなくてもいいと思うのです。

私は最近になって、この「照れ隠し」とも言える「小さな弁解」を、なるべくしないようにしています。


それは、なぜかと言えば、自己表現において、どんなに小さなことにこだわりを持とうと、人から見てどんなにくだらないことであろうと、それに対する「弁解」や「照れ隠し」は必要ないということを、一段と強く思うようになってきたからです。

と言うよりも、むしろ、『表現しようとする者の責任として、言うべきではないのではないか?』と思うようになってきたということかもしれません。


有名な作家であれば、「自己満足」だといっても「謙遜」としかとられないわけですし、聞いた相手も、『そうですか。自己満足なんですね』なんて言わないでしょうから、それを言うことに、あまり意味はないと思います。

でも、有名でない者が、それを言ってしまうと、『そうだよね。売れないものを時間をかけて作って、本当に自己満足だよね』と思われてしまうでしょう。

そして、『やっぱり、自分のやっていることが恥ずかしいから照れ隠しをするんだろう』とか、『立派な、売れるような作品が、作れないから弁解しているのだろう』ということを自ら認めることに成ってしまうわけです。

私自身が「自己満足」と言っていたときには、そういう弁解的な気持ちがかなり入っていたと思います。


でも、そういうことで、自分だけでなくの全ての無名の創作者達についても、それを認めることに成ってしまうわけなのです。

ですから、私はできるだけ「自己満足」と言うのを避けるようにしたわけです。
(まだ、習慣的に使ってしまうことがありますが)


そして、だからこそ、「本当の自己満足」の制作はしないようにしようと、『自己満足などではありません』と言い切れるものだけを創っていこうと思うわけなのです。




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