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芸術における「完成度」とは?



芸術作品においては、その「完成度」によって評価が下されることが多いと思うわけです。
それが間違いだとは思わないのですけれど、果たして可能なことなのかなと。


現代の芸術が、多様な方向性を持っているということは、誰もが認めざるを得ないことに成っていると思うわけです。

それは、一人に一つの方向性が認められている状態と言えるでしょう。


その前提で言うとすれば、そこで言う「完成度」とは、一人に一つの「完成」を想定した「完成度」ということに成るわけです。
つまり、全ての作家の「完成度」は、それぞれ〝唯我独尊"のもので、比べるものは無いということです。

だとすれば、その「完成度」の「度」とは、何なのでしょう。
比較するものが無い状態で、「度合」を計ることはできるのでしょうか?
また、できたとしても、それに意味があるのでしょうか?

例えば、写実画を目指している人が二人いて、片方の人の絵が〝リアリティ"で上回っていれば、一見「完成度」が高いと思えるわけです。

ところが、一人に一つの多様性が認められている現代においては、もう一人の人の絵が、「敢えて〝リアリティ"をそこで止めたのかも知れない」ということも考えて判断しなければならないわけです。

そうなると、その人にとっては、そこが頂点なわけで、もう一人の人の絵と「完成度」で比べることはできなくなるわけです。


もちろん、そういう方向性の違いを包括した「完成度」と言うものもあるとは思うわけですが、それを、人が判断すれば、相当あやふやな結果が出てきてしまうのではないのかなと。

そしてさらに言えば、明確な指標が無いわけですから、その時の流行や、周りの状況に大きく左右されてしまうわけです。


だから、現代の芸術においては、「完成度」によって評価を下すことには、かなり慎重になるべきなのではないのかなと。
というよりも、芸術作品に対して公的な評価を下すということ自体に意味がなくなりつつあるのかなと。


作家において、一人に一つの方向性が許されたのであれば、鑑賞者においても、一人に一つの視点が発生しているはずなわけで、その視点もまた、〝唯我独尊"であるはずなのです。

それは、短絡的な〝好き嫌い"だけの判断とはちょっと違うのじゃないのかなと。


そんな〝唯我独尊"の視点で見れば、きっと、流行とは無関係の〝何か"に出会えるように思うのです。

そして、芸術というものが、今ほど偏った範囲の視界で捉えられることがなくなり、本当の意味で「芸術の多様化」が実現されるのではないのかなと。


そんな、希望をもっているんですが、現実はそういう感じでもなく、でも、思うだけならタダだから、『まぁ、いいか』と、いま思ったところです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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