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「人間性の芸術」



芸術表現に必要不可欠なものとは何でしょうか?


人それぞれに、考えるところがあると思いますけれど、私は、「具象」・「抽象」・「人間性」の三つだと思っております。

「具象」は表現力であります。
「抽象」は精神性であります。
そして、「人間性」は、その精神性の中でも最も〝芸術であること"そのものであり、また、人間にとって最も具体的なことでもあるわけなのです。

つまり、「具象」と「抽象」の「二極」をまとめて〝力と形"を与える核となるものが「人間性」だと思うわけですね。

要するに、人間であることこそが人間にとっての真実であって、それは、正しく「芸術の中心」でもあるわけです。


私は、〝人間であること"を抜きに〝芸術であること"はあり得ないと思っています。
ですから「人間性」を無視した芸術と言うのは、私には考えられないわけなのです。


でも、これは芸術に限ったことでもなくて、他のどんなことでも「人間性」を無視したものと言うのは、私にしてみれば論外なわけです。


例えば「ナニカが出来る」と言うと、イイコトだということに成っていますが、そこに「人間性」が伴わないと、それはマイナスとしか思えないわけです。

なんでもそうですが、「人間性」を伴わないようなものに価値を認めるというのは、滑稽な事のようにしか思えないわけです。
なぜなら、全て人間がやっているわけですから、「人間」を重視しないようなものが「良い」ハズがないわけです。


現在、とくに「仕事環境」において、「人間性」を軽視する傾向があるようですけれど、それは全く無意味なことだと思うのです。

そういう時に、「人間性」を踏みにじってまで選択されているのは、たいてい、「効率」や「能力」と言ったものだと思いますが、いちばん〝バカバカしい"のは、「人間性」を伴わない「効率」・「能力」こそが、もっとも、全体の「効率」・「能力」を低下させているということでしょう。

100年以上前ならば、それにも意味があったのかもしれませんが、現代においては、それらの単純な「効率」・「能力」は、全部機械がやってしまうでしょう。

要するに、そうした「効率」・「能力」は、単純作業において重要な要素であって、内容が奥深くなるほど、切り捨てられていくべきものなわけです。

現代においては、それらの「効率」・「能力」の切り捨てられる部分を、如何に最小限にとどめるかが重要なわけで、人間がそういう作業を行う際には、「人間性」が不可欠となるわけです。

この「効率」や「能力」を芸術の創作に置き換えて言うのであれば、「技術」がこれに当たるでしょう。

「技術」も、その技法が確立される以前であれば、意味があったのだと思いますけれど、既に確立された技術と言うのは、単なる手段としての意味しか持たなくなってしまうわけで、それを目的とすることには、意味がないと言わざるを得ないわけです。


話が逸れてしまいましたが、こういったことも含めて、人間にとっての真実が、〝人間であること"なわけで、その真実を現すことこそが、芸術の中心であると考えるわけなのです。


ですから、「具象」も「抽象」も言ってみれば手段に過ぎず、「人間性」こそが芸術の本質であるとも言えると思うわけなのです。

少なくとも現在において、わたしは、そんな風に思っております。



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