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人は教えられたことしかしない



人間という生き物は自分で考えて行動しているようでいて、実は、人に教え込まれたことしかしようとしないものだと思うのです。


自分のことも含めてですけれど、子供の時に教え込まれたことと違うことをするのには、かなり抵抗があったりするわけです。

これ自体は、そんなに悪いことだとは思いません。

例えば、人が極端に逸脱した行動に走らずにいられるのも、純粋な道徳心や正義感からと言うよりも、ただ単に、教えられたことに従って行動しているからということが多いと思うわけです。
と言うよりも、むしろ、それに逆らうことができないからといった方がいいのかもしれません。

ただ、これは動物にも同じようなことが言えるわけで、動物もまた、親に教えられたことをやっていたりするわけです。

それから、遺伝的な習性として受け継がれている行動なども、これと似たようなものなのでしょう。


でも、人間は、もうそろそろ、その状態から脱して、自分の考えを以って行動するような習性を、身に着けるときが来ているように思うわけです。

もちろん、何も教えられずにゼロからすべて自分の考えで行動することはできないと思いますが、教えられたことを基盤にして、独自の考えを加えたのちに行動に移すということです。

『そんなことは、皆やっていることだろう』と言う人もいるかもしれませんが、実際には、この部分で人間は他の動物とさほど変わっていないように思うのです。

人間の行動が他の動物と違って見えるのは、その「教えられること」が複雑だからであって、一人一人が、独自の考えで行動しているからではないように思われるわけです。

そして、その複雑な「教えられること」とは、ごく一部の”自分で考えた人たち”が、考え出したり、見つけ出したことなんだと思うわけです。

要するに、「考え出す側の人」と「教え込まれる側の人」が、くっきりと分かれてしまっているように見えるわけですね。


もちろん、全ての人が研究者や発明家に成る必要はないわけですから、社会にとっては、それでもいいのかもしれませんが、そういう社会の効率とか、道徳と言った話ではなく、どちらかと言うと、生物とか動物としての人間が、いま、そのような位置に来ているように思うわけです。

つまり、「考え出す側の人」と言うのは、人類の進化の過程において、ほんの少し早く体毛が薄くなった個体や、いち早く直立に近い形で歩行できるようになった個体と同じように、”単なる先駆け”に過ぎないのだと思うわけです。

そして今、人間は「考える習性」を身に着けることができるような位置に来ているのではないのかなと。

言ってみれば、もっと人間全体が「考え出す側の人」になってもいいような気がするわけです。

それから、もう一つ、時代のスピードが加速度的に増している現在、過去に「考え出されたこと」では、時代に追いつけなくなってきているわけです。

もはや、”特別な人”が「考え出したこと」を”普通の人”に「教え込んで」いたのでは、時代に間に合わなくなってきているわけです。
要するに、覚えているうちに「時代遅れ」に成ってしまうわけですね。


そういう意味でも、「教えられたこと」しかしようとしないという習慣から抜け出していかなければ、時代に振り回されるだけなのかなと。

現に、今の社会にはそれに当てはまることが増えているようですし、「教えられたこと」に何か一つでも自分なりの見解を加えてから行動にできればいいのかなと。

そんな風に考えたりもしています。

『まぁ、自分は出来ないですけどね』




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