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「仕事ができる」という罠



現代社会において、『仕事ができる』と言う言葉が、とても厄介な「罠」になってしまっているわけです。


現在の職場環境においては、『仕事ができる』は、誰も逆らうことのできない、”絶対的な要素”とみなされているようです。

実際に、いろいろ問題がある人であっても、『でも、あの人仕事はできるから』と言われてしまうと、誰も、それ以上の”ツッコミ”ができなくなってしまうわけです。

逆に、とても人間的に信頼できる人だったり、堅実な人だったりと言うような「価値」は、『でも、あのひと仕事できないよね』の一言ですべて”水の泡”になってしまうわけです。

私は、これが不思議でしかたないのです。

まず、私が見ている限り、仕事と言うものは誰にでもできるものにしか見えないのです。
実際、「仕事ができる人」が居なくなっても、その「仕事」が滞ってしまうということは無いわけですし、その職場が大きく変わってしまうようなこともないわけです。

つまり、他の人でもほとんど同じようなことが出来るということです。
要は、「仕事ができる人」は、それを少しだけ効率よくこなしていたというだけのことなんだと思うわけです。


それから、同期で入社した人の中で、少しだけ早く仕事を覚えた人が、『仕事ができる』と言われ、驚くべきことに、ほんの少し仕事を早く覚えたというだけの、その「仕事ができる伝説」が、定年退職するまで続いたりするということもあるように思います。

どう見ても、実質的な差はごく僅かで、イメージだけで『仕事ができる』と『仕事ができない』に分けられてしまっているようにしか思えないわけですね。

そういった現実を見るにつけ、どうして人間性がもっと重視されないのだろうか?と不思議に思ってしまうわけなのです。

私が見ていると、「仕事ができる人」の「できる」の部分はチョットで、「人をないがしろにする部分」や「傲慢な部分」の方がはるかに大きいようにしか思えないのです。

もちろん、中には「仕事もできて」人間的にも充実した人も居るのでしょうが、少ないと思います。

だって、「仕事ができれば」ほとんどのことが許されてしまうわけですから、余程の人物でない限り、だんだんワガママになるに決まっているわけです。
そして、やはり、余程の人物でない限り、それに気が付きません。


いま、とにかく、『仕事ができる』という「罠」から逃れなければ、”マトモ”な判断は下せないと思うのです。


『仕事ができる』を、何の価値もないことだと考えて、その上で見えてきたものが、その人の本質に近いものだと思います。


「仕事」なんて、みんな十分”できてる”んじゃないですか?
それ以上”できなくても”いいでしょ?
一体どんだけ差があるっていうんですか?


そんな風に思ってしまうわけなのです。




 
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