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「芸術」は文化遺産なのか?ということ



芸術作品と言うと、繰り返し修復しながら維持管理していくというのが、当然のことになっているわけです。
当たり前のことのようになってしまっていますから、あまり疑問を持つこともないわけですけれど、実際には、これはとても微妙な問題を含んでいることのように思うのです。


まず一番に思うのは、作者がその修復を望むかどうかということが、確認されない場合が多いということです。

作者本人が亡くなっている場合が多いですから、その場合、確認のしようもないわけですけれど、それ以前に、作者の意向を確認しようという気が、まったく無いという感じがあるわけです。


作者は、自分の作品が守られ管理維持されることを望むに決まっているという決めつけがあるように思うわけです。

でも、実際には、レオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」を修復して欲しかったのかどうかは、誰にもわからないというのが事実なわけで、もしかしたら、その修復にレオナルドが激怒したのかもしれないわけですし、また、自分の作品に手を入れられること自体を嫌ったかもしれないわけですが(彼の場合、それはかなりの確率で考えられることのような気がするのですが)、そういうことは、そっちのけで、修復作業の出来栄えばかりが論じられたりするわけです。


要するに、こういった古い時代の作品は、「文化遺産」として捉えられている側面があるわけです。
だから、”作者”と言う感覚が抜けてしまうのだと思うのです。

公共物と言う扱いなのでしょうか?たぶん。

比較的新しい作品についても、修復や保存と言うのは当然のことに成っているのでしょうが、”法律的な権利”云々は別にして、
少なくとも、そこで何らかの敬意を込めて保存しようとするのであれば、作者の意向が反映されて然るべきなのかなと思うわけです。

確認しようがないから、勝手にやっていいということにはならないでしょう。


次に気になるのは、そもそも「芸術」というのは「文化遺産」なのか?ということなわけです。
つまり、修復したり保存したりする必要自体があるのか?
まして、国家や公共の力で、それを行うのは適切なことなのか?ということです。

これは「芸術」の捉え方によって、だいぶ話が違ってきてしまうことですけれど、私は、「芸術作品」と言うのは極めて”個人的”なものだと思っております。

つまり、「公共物」とは正反対の位置にあるものだということです。
ですから、それを”公の力”を使って保護したり補修したりするのはちょっとおかしいのかなと思うわけなのです。

「公共」や「国家」が守るべきは「芸術」であって、「芸術作品」ではないように思うのです。

と言うよりも、むしろ「芸術作品」をあまりにも保守しすぎると、「芸術」が頭打ちになって、行き詰ってしまうようにも思われるわけです。


私個人といたしましては、”滅びゆく様”を含めて「芸術」だと思っております。

修復や保存と言うのは、「芸術作品」を神格化してしまうことであり、また、その神格化の中でも一種「偶像崇拝的」な、意味を与えてしまうものだとも思いますので、如何なる重要作品についても一律に、修復や保存は消極的なもので十分ではないのかなと思います。

ある程度整った環境で、無理のかからないような条件下に置かれていれば十分なのではないのかなと。


作者本人が、どうしても保存したければ、遺言にでも保存方法についての指示を、事細かに書いておけばいいのだと思います。


今後、医療における「延命措置」と同じように、「芸術作品の延命措置」についても、生前から本人の意思を表明しておく必要が出て来るのかもしれません。


でも、先ほど述べたように、私は、「滅びゆく様」を含めて「芸術」と思っておりますから、自分の作品を、他人の手をもって修復してまで生き延びさせようとすることは、「芸術的な態度」とは思えないのであります。

もし、どうしても「千年持たせたい」なら、「千年持つ作品」を自分の手で作るべきだと思ってしまうわけです。


「千年持たせる」だけの価値があるのは、「作品」ではなくて、その人が、その瞬間に感じた”熱情”であり”衝動”であり、そこに注がれた”力”でしょう。
そして、また、それを見た人が感じ取った”何か”でもあるのでしょう。

そして、それは、その「作品」が物質として百年間もっても、千年間もっても、また完成直後に滅びてしまったとしても、同じことのように思われるのです。


その「作品」が”滅びた”後は、他の「作品」がその位置を埋めるだけのことだと思います。
そして、それでいいのだと思うのです。


「芸術」とは、そういう分野であった方がいいような気がします。
昔の傑作にすがり付いてしまうと、次が出てこられなくなるんじゃないのかなと。

「芸術作品」は唯一無二だから修復するのではなくて、唯一無二だから、”滅びてゆく様”を邪魔してはいけないように思うのです。
場合によっては、作者本人ですら、後からやたらと手を付けるべきでないとも思うわけです。


”滅びるべくして滅びた”後には、伝説が残るのかもしれないし、何も残らないのかもしれない。
そこまで含めてが、その作品のあるべき姿なのだと思うのです。

「芸術」っていうのは、そんな風なものじゃないでしょうか?


それを”惜しい”と思う気持ちがあっても、それに引きずられてはダメなんじゃないでしょうか。
それが”自然な滅び”を迎えることで”新たな芽”が出るのだと思うのです。


”滅びと再生”それが「芸術」の持っている一つの本質ではないのかなと。


そんな風に思っています。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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