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”何処かに向かって行きたい”のです



現在、「芸術」に新たな方向性が見つけにくい状況になっているわけです。
でも、逆に「芸術」に関しては、全ての方向性が許されているとも言えると思うわけです。


現在は「芸術」に関する枠組みが解体されて、不定形の「漠然とした雰囲気」だけが「芸術」を「芸術」足らしめているといってもいいと思うのです。

つまり、あらゆる方向へ向かうことが肯定されたことで、方向と言うもの自体の意味が無くなってしまったわけなのです。

どこかに向かって進んでいても、それは違う視点から見れば、「前進」ではなく「後退」であるのかもしれないわけだし、また、違う観点をもってすれば、止まっているということなのかもしれないわけです。


方向に意味がなくなった以上、”何処かに向かって行く”ということが出来なくなってしまったわけなのです。


でも、やはり”何処かに向かって行きたい”わけです。
人間には”何処にも向かわずに”何かをすることは出来ないように思うのです。

ですから、私は、「下」へ向かおうと思うのです。
「深さ」へ行こうと思います。


「深さ」の意味は人によって違うでしょうが、これまでは、「深さ」も「高さ」に変換されてしまっていたように思うのです。
だから、常に「深さ」は、上等なことでしたし、良いことだったわけです。

でも、私はこれから、真っ暗で何も見えない深海のような「深み」へ向かおうと思っています。

それは、上質への飛翔でも、良いことへの邁進でも有りませんが、その「下」へ向かう、暗闇の中での手探りが、”方向性を持たない方向”のように思われるわけです。


意味のある言葉にはなりませんが、それでいいわけです。
それが”方向性を持たない方向”ということなのだと思うのです。


まったく不確かですけれど、そこにしか行くところが無いように思われます。
でも、”何処かに向かって行きたい”ので、そこに行くわけです。

トンネルではないので、たぶん出口はありません。
進めば進むほど、暗くなるのでしょう。

でも、それでいいわけです。
”何処かに向かって行く”ことができれば、
何かをしたことにはなるのでしょう。

私は、”何処にも向かわずに”何かができる気がしませんから、
そうするしかないのかなと。

つまり、私の分際に許される限度が、そこら辺なのかなと。


そんな風に思っております。




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